固体の中の新しい原子振動:ラットリング

 固体中の原子の熱振動は,通常,フォノンと呼ばれる素励起として記述され,固体の中を波として伝搬する.最も基本的なアインシュタインモデルは,図1に示すようにすべての原子を同一の共鳴振動数ω0をもつ調和振動子であると仮定し,高温での固体の比熱の振る舞いを説明することが出来る.しかし,実際の固体中には様々な振動数のフォノンが励起されるため,これを記述するためにデバイモデルが用いられる.2つのモデルに共通していることは,各原子が調和振動子として扱われていることである.つまり,各原子はまわりの原子とバネで繋がれており,2次曲線で表されるポテンシャル曲線の底で振動する.

図1 通常の原子振動(上)とラットリング振動(下).赤丸はラットリングしている原子を示し,非調和ポテンシャルの中で振動している

図2 βパイロクロア酸化物におけるラットリング.酸素イオンの作るかごの中心にいるAイオンは4つの[111]方向に動ける.

 フォノンは熱の運び手であり,固体の熱伝導を寄与する.熱伝導が重要な役割を果たす熱電材料の研究においてここ数年,大きな注目を集めている現象がラットリングである.ラットリングとは,「がらがら」鳴るという意味であり,しばしば赤ちゃんの玩具に例えられる.熱電効率は物質の電気伝導度とゼーベック係数の積に比例し,熱伝導率に反比例するため,電気はよく流すが,熱は伝えにくい材料が必要とされる.1998年,Keppensらはある種のスクッテルダイト化合物において異常に熱伝導が低く抑えられることを発見し,これが熱電材料の有力候補であることを指摘した[Nature, 395, 876 (1998)].スクッテルダイトはかご状の構造を有し,その間隙に比較的小さな原子が入っているため,固体の中にも関わらず,この原子はほとんどまわりの格子の影響を受けずに局在した原子振動をする.このインコヒーレント(周りと相関がない)な原子振動がかごの骨格に存在する通常のフォノンを強く散乱するため,熱伝導が低く抑えられると考えられた.かご中の原子が「がらがら」と鳴っているのである.その後,同様のかご状構造を持つ SiやGeのクラスレート化合物でも同様のラットリング現象が見つかり,熱電材料の候補として活発に研究が行われている.しかしながら,ラットリングが低熱伝導をもたらす機構については未だによくわかっておらず,最近ではラットリングの寄与自身を否定するような実験データも得られており,依然として不明な点が多い.

 われわれは、一連のパイロクロア型5d遷移金属酸化物において物質探索を行ってきた.パイロクロア酸化物では磁性や電気伝導性を担っている遷移金属原子が正4面体をなし,これが頂点を共有しながら3次元のネットワークを形成する.この正4面体型格子は一般にパイロクロア格子と呼ばれており,最も大きなフラストレーションが期待される格子である.2001年に発見したのは、パイロクロア酸化物で最初の超伝導体Cd2Re2O7であり,超伝導転移温度Tcは1Kであった.Tcは低かったが,超伝導機能におけるフラストレーションの役割が注目され,また,特異な逐次構造相転移が見つかって多くの研究が行われた.その後の物質探索において,2004年,当時,代表者研究室の博士課程学生であった米澤茂樹が全く新しい超伝導体AOs2O6(A=Cs, Rb, K)の合成に成功し,これらが最高Tc=10Kの超伝導体であることを見出した.AOs2O6はパイロクロア酸化物の1種であるが,従来のものと比べて組成,構造が異なるため,β型と命名し,従来型のα型と区別した.

 AOs2O6パイロクロア酸化物の構造的な特徴は,OsO6八面体が作るパイロクロア格子のネットワークを形成し,その大きな間隙にA原子が入ることである.図2に示すように,A原子は酸素イオンが作る大きなかごの中に存在し,Aのイオン半径がCsからKへと小さくなるに従って大きなサイズのミスマッチが生じる.この状況は,前述のスクッテルダイトやクラスレート化合と似ており,そこでもラットリングが期待される.実際にX線構造解析によって,異常に大きな原子変位パラメータが観測され,これがKに向かってさらに大きくなることが観測された.Kでの値は通常の結晶中での値と比べて1桁以上大きなものであり,Kイオンがかごの中で激しく動いていることが確かめられた.さらに興味深いことに,原子変位パラメータは絶対零度に近づいても依然として大きなままであり,極低温においてもその振動が止まらないという異常な可能性を示唆した.一方,比熱測定にも異常が見られ,低温まで大きな格子の寄与が生き残っていることがわかった.ラットリングを単純にアインシュタインモデルで解析した結果,その最低特性温度は,70K(Cs),60K(Rb),20K(K)と求められ,特にKで異常に低い励起が存在していることがわかった.これらのことから,βパイロクロア酸化物においてもラットリングが起こっていること,さらに,KOs2O6におけるラットリングの強度は,従来の化合物と比較して最も大きいことが判明した.よって,β-KOs2O6はラットリング現象を解明する上で最適な物質であると言える.

βパイロクロア酸化物の超伝導に関しても活発な研究が行われつつある.特にNMRやμSR実験より,超伝導ギャップの対称性はs波であることがわかってきた.よって,その対形成機構は通常のようにフォノンによるものであると思われる.しかしながら興味深いことに,超伝導特性や常伝導状態の性質がCs,Rb,Kの順に大きく変化することが分かった.例えば電子比熱係数は,Cs,Rbではバンド計算から得られる値の4倍であるが,Kでは7倍にもなり,キャリアが重くなっている.さらにKで極端に強い電子ー格子相互作用が見つかって,これまで知られているフォノン超伝導体の中で最も強結合な超伝導が実現していることを発見した.対形成に寄与しているフォノンの特性温度は60Kと見積もられ,非常に低エネルギーのフォノンが効いている.このような低エネルギー励起はラットリング以外には考えられず,ラットリングが超伝導に直接関与しているとみなすのが自然であろう.ちなみに,スクッテルダイトやクラスレート化合物にも超伝導体が存在するが,ラットリングの直接の寄与が示唆されているものはない.

 βパイロクロア酸化物を舞台として,ラットリング現象の本質を突き止めることが重要である.前述のように通常のフォノンでは調和振動子近似が適当であり,非調和性は熱膨張などに重要であるが本質ではない.これに対して,われわれはラットリングの本質が非調和性にあるという仮説を考えている.図1に示したようにラットリングしている原子は2次のポテンシャルではなく,さらに高い次数のポテンシャルの中にいるはずである.そこではかごの中心付近でポテンシャルが平坦となるため,原子には通常の復元力が働かず,また,低温でも止まることがない.これは一種の量子井戸であり,閉じ込められたイオンは何らかの量子準位にいるものと期待される.よって,ラットリングは従来の固体中の原子振動とは本質的に異なるものであり,全く新しいタイプの振動現象である可能性が高い.最も激しくラットリングしているKにおいて,最近,特異な1次相転移がTc以下の7.5Kにおいて見つかった.その詳細は現時点では不明であるが,恐らくラットリングの自由度に関するものであり,ラットリングが単なる孤立モードではなく,何らかの協力現象を示すことを意味しており興味深い.

 さらに面白い点は,このラットリング振動が周りのかごにいる伝導電子と強く相互作用していることである.中心原子は完全に1価になったイオンであり,その動きは周りの伝導電子により有効的にスクリーンされねばならない.通常の金属物質においてはイオンが伝導電子の海の中に存在するため、そのスクリーニング効果は大きい。しかしながら、βパイロクロアにおいては伝導電子とアルカリイオンが空間的に分離されているため、スクリーニング効果は弱められるであろう。これが大きな電子ー格子相互作用の起源になっていると考えられる。一般にイオン結晶など極性の強い物質において、強い電子ー格子相互作用の結果、伝導電子がフォノンの衣をまとって重くなった状態をポーラロン(polaron)と呼ぶ。負の電荷を持った電子は正のイオンを引き寄せ負のイオンを遠ざけるため局所的な歪み場を形成し、これを引きずって歩くため電子の有効質量が大きくなる。βパイロクロアにおいても同様のことが起こっているに違いない。つまり、ケージ上を動き回る電子はアルカリ金属イオンを引きつけて重くなる。特にイオンが最も軽いKOs2O6でこの効果は顕著に現れている。

 このような特異な電子状態には新しい名前が必要である。これをラットロン(rattlon)と呼ぼう。ポーラロンが通常の調和振動子的フォノンを引きずっているのに対し、ラットロンは非調和性が高く、局所的なラットリング振動を引きずっている。ポーラロンはほとんどの場合低温で局在して止まってしまう。また、金属状態に近づくほどスクリーニング効果によって電子ー格子相互作用は弱められ、ポーラロン描像は破綻して、ただの電子になってしまう。対照的にラットロンは極低温でも極めてよい金属状態にある。これは前述の電子とイオンの空間分離のためである。よって、ポーラロンとラットロンには本質的な違いがある。

 以上のように、低温でも止まらないラットリングは低温の輸送現象に大きな影響を及ぼし、実際に超伝導機能を担っている可能性も高い.逆に伝導電子によるスクリーニングがあるからこそ,このような非調和ポテンシャルが出来てラットリングしているのかもしれない.ラットリングには依然として多くの謎が存在し,物性物理の対象として極めて面白いものである.ラットリングの本質を見極め,固体における原子振動研究の新しいパラダイムを構築することを目指して研究を展開している.