パイロクロア格子と磁気フラストレーション

 パイロクロア酸化物Cd2Re2O7の結晶構造を下図(左)に示す。ReO6八面体をピンクの多面体でCd、残りのOをそれぞれ黒、水色の球で書いた。このような3次元構造をわかりやすく書くのは容易ではないが、今注目すべきReのみ取り出して簡単化すると(Cd2+は4d殻がすべて埋まっており、一方、Re5+は4f145d2の電子配置を持っているのでそのd電子が電気伝導性および磁性を担う)、右図のようにRe原子が正四面体をなし、これが頂点を共有しながら3次元的に繋がった、極めて対称性の高いパイロクロア格子が現れる。正四面体は正三角形をモチーフとしているため、最近接原子間の磁気的相互作用が反強磁性的ならば3番目のスピンの向きが定まらないという、フラストレーション(3角関係)が生じ、通常の長距離秩序が抑制される。特にスピンが1/2の場合、その基底状態はスピン液体状態になると予想されている[1](余談だが、このようなスピン1/2パイロクロア格子を実現する物質は知られておらず、理論予測は確かめられていない)。
 一方、パイロクロア構造(左図)ではCdの占めるAサイトのみ取り出しても、右図のパイロクロア格子が得られる。最近多くの研究が行われているのはAサイトにDyやHoを選び大きな異方性を持つイジングスピンを置いて、Bサイトを非磁性のTi、Snとしたものである。この時、系は絶縁体でAサイト間の相互作用は強磁性的となり、各四面体において、2つのスピンが内を向き残り2つが外を向くようなスピン配列が安定となる。しかし、4つのスピンのうち、どの2つを選ぶかの自由度が6つあり、そのために低温でも長距離秩序が起こらず、「スピンアイス」と呼ばれる状態になる[2]。これは、氷の水素結合に残るエントロピー(氷の場合、酸素原子が四面体の中心にあり、4つの頂点が水素原子)と本質的に同じであることからその名が付いた。
 パイロクロア格子を内包するもう一つの重要な酸化物はマグネタイトに代表されるスピネル酸化物である。マグネタイトは相変わらずややこしいが、ZnV2O4やLiV2O4などのバナジウムスピネルには面白い物理が見つかっている。特に後者は、パイロクロア格子上にあるVの1.5個のd電子が金属状態にあり、低温で大きな質量をもつ「重い電子」的な振る舞いが見出されている(γ=200mJ/K2 mol V)[3]。局在スピン系でのフラストレーションの概念は直観的に理解しやすいが、このような非局在系でそれがどのような意味があるか不明な点が多い。LiV2O4の重い電子的振る舞いは、スピンと軌道の自由度が低温まで生き残って電荷の自由度と結合したことによると考えられている[4]。一方、高温超伝導以前に酸化物超伝導体として最高のTc(13.7K)をもっていたLiTi2O4もスピネル構造を有する。これはTiあたり3d電子が半分の系であり、パイロクロア格子上の超伝導とも考えられるが、残念ながら単結晶が得られずその物性には不明な点が多い[5]。

[1] B. Canals and C. Lacroix, Phys. Rev. B 61, 1149 (2000).
[2] A. P. Ramirez, A. Hayashi, R. J. Cava, R. Siddharthan, and B. S. Shastry, Nature 399, 333 (1999).
[3] S. Kondo, D. C. Johnston, and J. D. Jorgensen, Phys. Rev. Lett. 78, 3729 (1997).
[4] C. Urano, M. Nohara, S. Kondo, F. Sakai, H. Takagi, T. Shiraki, and T. Okubo, Phys. Rev. Lett. 85, 1052 (2000).
[5] D. C. Johnston, J. Low Temp. Phys. 25, 145 (1976).