アメリカに行ってきた −APS2005−

 昨年,あちこちに行って旅行記を書きましたが,今年はこれが初めての海外出張です.まず始めに旅行記を書き始めた際にお断りしたことを,くどいようですが,再度書きます.この文章は個人的な記憶を留めるため,また,読んで下さる方の貴重な時間を出来る限り無駄にしないために書いています.よって会議の専門的な話を書くことが目的ではないので、必然的に話の内容は柔らかくなります。決して1週間、ロサンジェルスで遊んできたと誤解されないように。

 今回の出張は2005年3月20日から27日までの一週間.目的は米国の物理学会(APS2005)に参加し,講演を行うこと.場所はロサンジェルス(LA)です.LAに行くのは学生の時に遊びに行って以来なのでなんと25年ぶりです(歳を取ったもんだ).昨年末にカリフォルニア大学の W.E. Pickett教授から招待講演の依頼がありました.私はこれまで一度もAPSに参加したことがなく(自称,非物理屋なので),噂で聞くAPSはとてもアグレッシブなところというイメージが強いので正直言ってびびりました.が,せっかくのお誘いを光栄と思いお引受し,いざアメリカへと相成りました.

 今回はパソコンを持ち歩いてまめに書いてます.今,行きの飛行機の中,成田を出発して6時間が経ち,あと3時間少々でLAに到着します.最近,校費での利用が認められたので、ちょっと贅沢をしてビジネスクラスを取りました.でも,格安の大韓航空で往復17万円と昔のエコノミー並です.少々高いですが,やはり快適ですね.おまけに空いていたのか,さらに前の座先に変更してくれて,なんと2Eという席にいます.前部の2列は昔のファーストクラスの座席だと思われますが,実に広くてcomfortable.食事のビビンバも辛くて美味しかった.こっそりコチジャンソースを余分に頂いてしまいました(せこいかな).こんなのに慣れちゃうと後が怖い.成田で偶然出会った九州のある先生は,同じ飛行機の超格安航空券をなんと5万円で買ったそうです.どうも済みません.でも彼は成田に来るのに3万円を払ったそうな.1時間乗って3万円,10時間でも5万円,うーん,航空券の値段は一体どうなっているのか摩訶不思議です.

 まだ,書くことがないのでアメリカの昔話を少々.私が初めて行った外国がアメリカ西海岸で,大学3年の時でした.まだ髪の毛もちゃんとあった頃です.すべてを書くと短編小説になってしまいそうなので,取って置きの話を一つ.私がこれまでの人生で出会った最も変わった人の話です.その日の早朝,一人サンフランシスコに着いたZはマクドナルドで朝食を取り,見事にお腹をこわしました.仕方なく,急いで安ホテルを探し,各フロアーに一つしかないトイレに直行.すっきりして出てくるとそこで若い男がバスタブを洗っているではありませんか.彼は親しげに話しかけてきて,こうのたまいました(たぶん).「俺は一生懸命バスタブを洗っている.おまえはこれを使え.でも,もしも万が一,汚れが残っていたら,これで俺を打ってくれ.」と言いながら,彼は20cmぐらいの革ひもを束ねた鞭を差し出し,自分の腰を威勢良く打ち始めました.よく見ると彼はほとんど裸で女物のショーツをはいていました.まさにOh, my God!です.私は絶句し,とても友好的な笑みをたたえながら,ゆっくりとその場を立ち去りました.世の中には実に不思議なひとがいるものです.その他,ホモのおじさんにビールをごちそうになったり,bisexualのおじいさんと長話をして泊まりにおいでと誘われたりしましたが,皆さん,丁重にお断りしました.いろいろな意味でよき時代のサンフランシスコの思い出でした.

 さて,LAX空港に到着し,ダウンタウンのHyatt Legency Los Angelesに直行.こちらの時間で朝の8時を過ぎたところです.このホテル,とてもまともなホテルです.ネットで値段を見ると非常に高いが,APS割引で150ドルぐらいまで安くなり,日本のHISを通して予約するとなんと1泊90ドルの普通のホテルとなりました.有り難いがホテルの値段もよくわからん.今日はよく寝て明日から頑張ります.

 APS会議は近くのConvention centerで行われました.会場まで歩いて15分.カリフォルニアの日差しを浴びながら歩くにはちょうどいい.私の出番は2日目の午前で36分の講演です.通常講演が12分ですから,3倍も時間をもらうわけで,ここは一発気合いを入れてしゃべりまくろうと思います.

 さて,2日目が無事終わりました.今,ホテルに戻りバーでビールを飲みながら書いています.今朝も時差ボケのせいで午前3時に目が覚め,5時まで話の準備をしたらまた眠くなり,次に起きたのが10時.発表は11時過ぎだったのでハッキリ言って焦りました.あわてて着替えて朝飯を食べる間もなく会場へ.セッションが終わったのが午後2時過ぎ.会場のまずい(ほんとにまずい)サンドイッチを食べる気にもなれず,リンゴ一つで5時過ぎまでまじめに聞いていました.その後,帰ろうと外へ出ると大雨.シャトルバスにも乗れず,雨の中を歩いてくたくたになって帰ってきたところです.なので,やっぱりビールが旨い.

 今回初めて参加したAPSの印象を以下に書きます.とにかく人が多い.でもどのセッション会場もそれほど混んでいない.と言うことは,みんな外のフロアーにたむろしてひたすら議論(か雑談)している.床に座り込んでコンピュータを打っている人も沢山いる.日本の物理学会でも外で議論している人が大勢いますが,その割合は格段にアメリカの方が多いようです.APSは年一回であり(日本は2回)アメリカは広いので,恐らく皆さんが顔を合わせる数少ないチャンスなのでしょう.続いて、セッションにランチタイムがない.1つのセッションは1−3時間ぶっ通しである.関連講演があちこちにばらまかれている.実は明日の午後のセッションの座長を当てられてます.特に座長の依頼があったわけでもなく,いきなりプログラムに名前が載っていてびっくりしました.つまり簡単には断る機会がないのです.ちなみに学会で配られた分厚いアブストラクト集に,unfortunatelyに座長が現れない場合は最初の講演者が座長を務めるようにと書いてありました.と言うことは来ない座長が結構いるのでしょう.当然ですね.私のセッションが一般講演のみの,何でも有りの3時間セッションであることに,こちらに来て初めて気が付き,唖然としています.招待されたから義務かと思って文句を言いませんでしたが,何ら金銭的な補助があるわけでなし(参加費も払っている),なんとか断ればよかったと後悔しています.と言うわけで,明日も大変な仕事が残っているのです.ああ悲しい.

 水曜の座長は無事終わりました.感想を書きます.発表者15人中1人が現れなかった.1/3がコンピュータの接続がうまくいかず,12分の持ち時間の内,1−2分を無駄にした.12,3番目の発表者がレーザポインターを持って帰ってしまったため,残りの人は手で指し示した.最初に30人ぐらいいた聴衆は徐々に減り,最後に残ったのは発表者と私を含め7人だった.ほとんど酸化物に関する発表だったが,なんと一人,バイオロジーの理論の話があった(これが一番面白かったかも).本人もこんなところで話して済みませんと言う感じだったが,実にきれいで楽しい発表でした.最後の発表者は中国系の女性で,早口で話したため8分で終わってしまった.終了後,座長は例によって質問ありますかと聴衆に聞くわけだが,会場の5人が一斉に顔を横に振ったので,何とか質問をひねり出した.最後に妙な親近感を感じて皆で拍手して無事セッションを終わりました.正直言って,レベルの低い発表が多く,長時間で疲れ果てたけれど,座長をしたことはとてもよい経験になりました.「人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学ぶことができる」とジェイはピンボールを眺めながら言ったのでした。

 最終日の金曜に行った会場の一つは全部で5人しかいませんでした.非常に多くのセッションがパラレルで行われているせいもありますが,皆さん自分の聞きたい発表が終わるとそそくさと出ていってしまいます.今回,招待してくれたPickett先生を始め,これまでメールでのみやり取りしていた人達と会えるのを楽しみにしていたのですが,ほとんど果たせませんでした.私の発表は聞きに来てくれていたとは思うのですが,面識がない上、例によって会場の出入りが激しくてセッション終了後に声をかけてもらうこともできませんでした.とても残念です.

 さて今回は実にまじめに?会議に出ていたので,その他の話が少ない.一つ,昨晩の夕食の話をしましょう.最近,物性研から京大に移ったYM氏と一緒にダウンタウンをあちこち廻ったあげく,適当なレストランが見つからない.と,M氏はKoreatownにビビンバを食いに行こうとおっしゃる.が,ガイドブックも地図も持っていなかったので,それがどこにあるのかすらわからない.ホテルの人に聞くとタクシーで18ドルとのこと.よくわからないが取りあえずタクシーに乗り,運転手に美味しいコリアンレストランへ連れていってくれるように頼むと,まかせとけ,てな感じ.確かに18ドル走った辺りでそれらしい街になり,ほにゃららホテルにあるレストランがいいと言うが,間近まで来て急に日本食はどうだと聞く。何のことかと思っていると、何と目的のレストランは日本料理屋だった.それでもめげない運転手の親父がここがベストだと言って降ろしてくれた店は,一見して全く客が入っていない.ここに至ってようやく親父は何も知らなかったと言うことに気が付き,二人で唖然とする.仕方ないのでまともそうなレストランを探してひたすら歩くと、tofuの文字が付いた,とても繁盛している,24時間営業の店を発見,そこに入る.石椀で炊いたご飯,豆腐と肉の入った熱々の辛いスープ,骨付きカルビにもちろんキムチ.一人15ドルで大満足でした.少し驚いたのはビールを置いてないこと.コーラならいくらでもあるよと言われた.まあ,健全でよいが.

 ついでにもう一つ,食事の話を聞いて下さい.木曜の昼,会議場をF氏と抜けだし,タクシーで今度はChinatownへ.ガイドブックにあったお店Empress Pavilionに無事たどり着く.F氏はだいぶ前に分子研へ移り,物工に戻ってきた人です.ここは飲茶の店で,体育館のように広い店内を沢山の飲茶をのせたトレイを押して気のいいおばさんが歩き回っています.これ,あれと目で見ながら注文できるのがいい.ただ,冷めるのが心配なのか,ちょっと蓋を開けて見せてくれるだけで中身がよくわからない.鳥の唐揚げと思って頼んだ器が足だらけだったのには少々げんなり.お陰で夜になっても目の前を鳥の足が歩いていて食欲が出ず,ホテルの部屋でホテトチップを食べている.さて,明日の金曜の昼で会議は終わり.午後はハリウッドに行って,土曜の早朝に出発します.

 金曜はYM氏を含む5人で,予定通りハリウッド,サンタモニカと廻りましたが,特に書くこともなし.どこも一度行ったらもう十分という感じです.25年前の若さと感受性は残っていないのでさして感動もなく,ただアメリカだなー,と感じました.

 さて、最後に一言.英語圏に来るといつも己の英語力不足を実感させられます.ちょっとした会話ならいざ知らず,英語でディープな物理の議論は出来ません(日本語でも無理なのに).講演はそれなりに準備すれば理解してもらえますが.議論は別.会場での皆さんの活発な議論を聞いていると,日本人にはやはり大きなハンデがあると感じます.日本人が本当に英語を身に付けるためには若い頃にアメリカやイギリスで長期の研究生活を経験することが必要不可欠なのでしょう.しかしながら,最近の研究環境を考えるとこれは必ずしも容易ではありません.昔は(私より一世代前)国外の方がいろいろな意味で研究環境に優れていて,若い頃に外国に行って学ぶ必然性が高かったと思われます.でも今では対等かむしろ逆転している場合もあり,研究という点では外国へ行く意味が薄れてしまいました.ただその分,日本で英語を学ぶ環境は格段によくなったと思いますが,やはり「ディープな議論」を学ぶことは難しいでしょう.でも,これから将来のある若い皆さんには是非,海外での研究生活に挑戦してもらいたいと思います.十分条件ではありませんが,一流の研究者になるための必要条件の一つだと思います.私はもう歳を取りすぎたのでやめときますが.

 最後まで読んで下さった皆様,ありがとうございます.ご意見,ご要望,文句等ありましたら,是非,お知らせ下さい.では,またの機会に.