ビールと電子顕微鏡 -アントワープ滞在録-

Beer and electron microscope - Record of our stay in Antwerp

広井善二

 ベルギーは実に魅力的な国であった。私は1995年10月から翌年9月までの約1年間、日本学術振興会の特定国派遣研究者としてベルギーに滞在し、アントワープ大学の電子顕微鏡グループの一員として研究を行う機会を得た。帰国後しばらくして、無機材研の松井さんから本誌に滞在録を書けとの仰せを受けたが、正直言って真面目なことを書く自信がなかったので、ビールの話でもよろしいかと念を押したところ、快く了解していただいた。そんなわけで多少(かなり)不真面目な滞在録であるので、適当に読み流していただけると有り難い。

 さて私がアントワープへ行くきっかけとなったのは、1994年春に無機材研で行われたCOEの会議でProf. Gustaaf Van Tendeloo(Stafと呼ばれている)に会ったことである。当時私は年齢的に若手研究者からはずれそうになっていたので、早めにどこか外国で研究してみたいと思っていた。学術振興会の海外研究者派遣には特定国派遣という制度があり、これは学術振興会と各国の対応機関との協定に基づき毎年数名の研究者を相互派遣するものである。人数、期間は相手国により異なり、ベルギーの場合は長期(6-12か月)が約2名となっている。私は学生時代に超格子薄膜の断面観察などで電子顕微鏡を始め、その後酸化物超伝導体の研究を行っていた。アントワープグループが酸化物超伝導体を含めて無数のあらゆる無機物質について先駆的な仕事をしてきたのをよく知っていたから、是非アントワープで学びたいと思ってその年の募集に応募した(もちろんベルギーに行きたい理由は他にもたくさんあったが)。まさか当たるとは思っていなかったので、夏頃内定を受け取ったときには驚いた。それから1年後の秋にベルギーに出発することになる。わが家は4人家族で、妻と出発当時3歳の娘と9か月の息子が一緒であった。小さい子供たちを連れていくことにかなり不安があったが、Stafがアパートの手配から細かいところまで気を使ってくれたのでスムーズに生活を始めることが出来た。

 ベルギーは、フランス、オランダ、ドイツ3国と北海に囲まれた小国である。不思議なことにまわりの3国の言語をすべて公用語として使用している。実際には言語圏は地域によって分かれていて、例えばフランスに近い地域は主にフランス語を話す。アントワープはオランダ語圏の中心都市である。オランダ語圏には、フランス語、ドイツ語はもちろん、英語も非常に流暢に話す人が多い。スーパーのレジのおばさんに、Do you speak English?と聞かれたりする。アントワープは15世紀から港町として栄え、活版印刷や画家のルーベンスでも有名である。またダイヤモンド取引の世界的な中心地でもある。日本人には特に「フランダースの犬」の舞台として知られているが、しかし、アントワープ人はこの物語をほとんど知らなかったらしい。あまりに多くの日本人がネロとパトラッシュに会いに来るので、当局は約10年前、町のはずれに小さな銅像を作った。

 さて、ベルギーはなんと言ってもビールの国である(内の奥さんにはチョコレートだが)。驚くべき事に数百種もの銘柄のビールが存在する。多くのベルギービールは上面発酵によって作られ、生きた酵母を入れたまま小さな瓶に詰められる。日本で有名なのは修道院ビールなどのアルコール度数の高く甘みのあるビールだが、その他にランビック、ホワイト、ブラウン、レッド、セゾン、トラピストなどの種類があり、各地域にそれぞれの地ビールが存在する。銘柄によって飲むグラスが決まっていて、その形も様々で面白い。詳しく知りたい方はマイケルジャクソン(あの人ではない)の「地ビールの世界」(柴田書店)をご覧になって下さい。私のベルギービールに対する印象は、一言で言えば、普通の「ビール」とはまったく異なる飲み物である、いうものであった。アントワープの地ビールはDe Koninck (デ・コーニンク)という名前の、大麦で作るスパイシーな茶褐色ビールである。これはなかなかの美味であるが、日本のビールの味からそう遠くない。私と妻がこよなく愛したのは小麦で作る濁ったホワイトビールである。特によく飲んだのはHoegaarden(ヒューガールデン)で、独特の香りと酸味のきいたすっきりした味わいは日本のラガービールとはまったく異なるものであった。また特に個性的なビールとしては、非常に酸っぱい味のランビックビールがあり、野生酵母を使って自然発酵によって作られる。煮立てた麦汁を屋根裏部屋のプールで冷やす間にどこからか飛んできた酵母によって発酵するらしい(「神様が手を振って合図する」らしい)。初夏になると、これにサクランボや木苺の果汁を入れたフルーツビールが作られる。まだ日の高い夏の夜に、大聖堂近くのカフェの前に出されたテーブルについて、豊かな香りと決して甘くない酸味のきいたクリークビールを味わう瞬間はまさに至福であった。

 さてあまり不真面目なことばかり書いていると怒られそうなので、もう一つの題目である電子顕微鏡の話に進む。前にも書いたが、アントワープ大学は電子顕微鏡を用いた材料研究では長い歴史をもつヨーロッパ有数の研究所である。教員スタッフは(図左上端から順に右へ)J. Van Landuyt、G. Van Tendeloo、D. Van Dyck、退官されたProf. S. Amelinckx、N. Schryversで、その他4ー5人のPhD students(みなベルギー人)と多くの技官、外国人研究者がいる。図は帰国前に在籍していたメンバーの顔写真と研究所の建物の写真である。日本の研究機関と比べて驚くことは技官スタッフの数の多さである。電子顕微鏡のメンテナンスに2人、観察試料作製に3人、暗室写真関係に3人が働いている。薄片化の必要な試料はPhD studentであるPaulの奥さんのGertie(喉の奥から絞り出すようにヒェルティと発音する)がやってくれるし、暗室も我々がやるのはフィルムの現像、水洗までで、後はスリムな美人のAlexaがコンタクトプリントを作ってくれる。引き延ばしも場所と倍率を言えば彼女がやってくれる。フィルムは個人所有せず、すべて通し番号順に収納される。超高圧電顕の部屋の壁一面に大きな収納棚があって膨大な数のフィルムが保管されており、驚嘆した。フィルム番号に関しては一つ決まりがあって、ゼロが3つ以上並んだ番号の写真を撮った者はお茶の時間にみんなにケーキやアルコールを奢ることになっていて、しばしばパーティーが開かれた。写真スタッフはマッキントッシュに凝っていて、最近の発表用写真は全て一端印画紙にプリントした物をスキャナーで取り込み、Photoshopで加工してKodakのプリンターで打ち出した物を使用している。また、全ての図をデータベース化してCD-ROMに保存している。写真スタッフの中心は優秀なカメラマンのFreddyで、彼は私のビールの師である。ベルギービールの中でDuvelを2、3年寝かしたものが最高だと教えてくれたが、いつも待てずにすぐ飲んでしまうのが問題だと話していた。

 滞在する外国人の数も多い。最も多い時で私を含めて12、3人がいたと思う。その国籍は、フランス、ドイツから、ロシア、ギリシャ、モロッコ、クロアチア、中国、日本と多様であった。私の滞在中に日本からは長崎大の久恒、羽坂、森村さんが2か月、横浜国大の武田さんが半年間滞在された。あるクロアチア人がアントワープはヨーロッパの電顕のCathedralだと言っていたのを覚えている。いろいろな国の人たちと話す機会に恵まれたのは良い経験になった。

 アントワープ大学の電子顕微鏡の主力は高分解能観察用にトップエントリーのJEOL-4000EXと、200keVのフィリップスのCM-20である。その他には古い超高圧電顕と200CXがある。実はもう1台フィールドエミッションガンを備えた300keVの新しいCM-30があったのだが、残念ながら一度も使えなかった。アントワープ大には理論と実験の2つのグループがある。Prof. Van Dyckを親分とする理論家グループはフィリップスと組んで、wavefunnction reconstructionという手法で1オングストローム級の分解能を達成すべく新しい電子顕微鏡を開発していた。詳しいところはよくわからないが、要するに自動的に一連のスルーフォーカス像を撮影して情報量を増やすことでレンズ系の影響を補正し、試料下面での波動関数を求めてやることによって実際の分解能を上げる試みである。ところがフィリップス側の対物レンズの設計(?)に問題があったらしく未だに動いていない。滞在前から楽しみにしていたのだが残念であった。もう1台同じ設計のCM-30がオランダのDelftにあって、帰国前95年夏のダブリンでのEUREMにおいてZandbergenが発表をしていた。

 研究者の多いこと、使える電顕の台数が少ない事から察しがつくようにマシンタイムはかなり限られていた。2台の電顕は1日を午前、午後、夜に3分割し、その予約は前の週の金曜に決められた。おおよそ週に1、2度の実験となった。最初はいささか不満であったが、ベルギー流の時間の流れに慣れるにつれて気にならなくなった。典型的なベルギー人研究者は朝8時頃に現れて、夕方5時には帰る。5時過ぎて研究をしているのは外国人のみであった(日本人も含めて)。Stafは例外のようでまわりが5時きっかりに家に帰るのを苦々しく思っているようであった。

 私も一応少しなりと仕事をしてきたのでその話を簡単にしたい。前にも書いたように私はここ10年、高温超伝導体の仕事をしてきたのだが、最近特に新物質関係の仕事は下火になりつつあったので、アントワープで何か他の新しい物質に手を付けてみたかった。しかし来てみるとアントワープでも状況は同じで、Staf自身も次に何をやるか探しているところだった。こうした大きな電子顕微鏡専門の研究所は正統な研究を行う上で確かに優れているが、その問題の一つは自分で試料を作らないところにあるように思う。まったく作らないわけではないが、基本的に試料は外からもらってくる。結局少々不本意ながら出発前に話題になっていたスピン梯子系の銅酸化物Sr14Cu24O41を京大化研の学生さんに作って送ってもらい、その構造と磁性の関係を調べた。この物質はスピン1/2をもつ銅イオンが梯子状に並んだ面と1列に並んだ鎖からなっている。その面と鎖は、ある方向の格子周期が非整合になるのでいわゆるミスフィット化合物に属し、複雑な長周期構造を示す。私が興味を持ったのは磁性と鎖の長周期構造の相関であった。磁性の研究から鎖上にスピンが約半分存在し、それが低温でペアを作ってある種の規則配列をしている可能性が示唆されていた。酸素量を調整した1連の試料について調べた結果、面と鎖のミスフィットの大きさが酸素量によって変化し、その時磁性も大きく変わることがわかった。複雑な電子線回折パターンの解釈や、1次元の非整合構造をエレガントに表す「cut and projection method」の応用について、StafやProf. Amelinckxから適切なご助言を戴き、何とか結果を論文にまとめることができた[1]。

 Prof. Amelinckxは言わずとしれた大先生である。もうかなりのお歳と思われるが、非常にお元気でカーボンナノチューブやフラーレンの研究に没頭しておられた。もう退官されているので雑務はなく、好きな時に大学に来られて自由に研究をされていた。私のような未熟者にも丁寧にお話戴き感激した。他のスタッフは皆ニックネームで呼ばれていたが、大先生はいつもProf. Amelinckxと呼ばれていた。彼は理論家で電顕には触ったことはないらしい。少々変わっていて決してコーヒーブレークを取らない。聞いたところによると、大学で火事があった時に隣のビルが燃えているのを気にもせず、ご自分の部屋で誰かと議論をされていたそうだ。古い書籍や地図の収集に関しては相当なものらしく、一度市内の活版印刷博物館に連れていっていただいたが、展示してある16-7世紀の書物を指差されて、ご自宅には同じ本がもっと良い状態で保存されていると言われていたのが印象的だった。

 われわれ家族の1年もきわめて順調だった。妻はあまり英語が達者ではないが、それが気にならない性格なので子供連れで結構出歩いていたようだ。家族にとって一番良かったのは、日本にいる時よりはるかに多くの時間を一緒に過ごせたことだと思う。生活を始めた10月は天気が良く、トラム(路面電車)に乗って大聖堂の近くへ出かけ、チョコワッフルを食べながらうろうろした。上の娘は、近くの幼稚園へ通い始め、言葉がわからないながらもがんばっていた。数カ月後には何人か仲の良い友達ができたようだった。我々のアパートは古い高層アパートで住んでいるのはほとんど老人だったが、子供たちのおかげですぐ仲良くなることができた。どこに行っても感じたことだが、小さい子供たちを連れていることは大変なメリットで、警戒されないから容易にその場に溶け込むことができた。娘は覚えたてのオランダ語で挨拶をしながら店に入っていっては、キャンディーなどをもらうのを楽しみにしていた。12月の初めにはようやく車が手に入り生活にも余裕が出てきた。冬は日が短く時には非常に寒かったが、それなりに静かな時を過ごせた。しかしその年は異常に春の到来が遅く、6月になってもセーターが手放せなかった。暖かくなった頃、車でベルギーの外へも旅行することが出来た。特にフランスへは各地の研究機関を廻るという口実のもとに3週間の旅行をした。車のトランクに電気炊飯器とお米と海苔を詰め込んでの長旅だったが、多くの人々と仲良くなり仕事の上でもプライベートにも非常に有益だった。ヨーロッパに滞在することの大きなメリットは、容易に多くの国を見て回れることだと思う。日本からながめると、ヨーロッパの国や人はみな似ているように思えるが、国によってそのカラーがはっきり違うことを実感した。

 帰国1週間前には研究所でさよならパーティーを開いた。これは恒例で去る人が一席設けることになっている。われわれはブリュッセルの日本食料品店で買い込んできた日本酒や納豆とおにぎりなどを用意し、みな大変喜んでくれた(と思う)。われわれを暖かく見守ってくれたアントワープの友人たちに深く感謝したい。

 私は電子顕微鏡の専門家ではない。あくまで装置を使って物質の面白い側面を見出すことを楽しみにしている。アントワープにいる間これまでの自分の行ってきた研究を改めて見直し、今後の行く末を考える時間があった。そこで感じたことは今後電顕の仕事からは遠ざかっていくという予感であった。しかし帰国後半年の間、正反対に電顕三昧の生活を送っている。それはBi系の高温超伝導体において、合金系に見られるような共析組織を見つけたことによる。しかもこの微細組織が磁束のピニングセンターとして働き、大きな臨界電流密度の原因になっていることがわかってきた。詳しくは論文をご覧戴きたい[2]。

 この拙文がわずかでも読者の方々のrefreshmentになれば幸いである。また、これから外国へ行こうとする若い人々のお役に立てばと願う。ここでは良いことばかりを書いてしまったが、実際にはかなり大変な苦労もあったように思う(忘れてしまったが)。少なくともビールを飲みにベルギーに行こうとする人が増えれば、2国間友好には役だったと思うのだがどうであろうか。

 最後にこの文章を書く機会を与えて下さった松井さんや編集委員の方々に感謝します。

文献

[1] Hiroi, Z., Amelinckx, S., Tendeloo, G.V. and Kobayashi, N.: Phys. Rev. B 54, 15849 (1996)

[2] Chong, I., Hiroi, Z., Izumi, M., Shimoyama, J., Nakayama, Y., Kishio, K., Terashima, T., Bando, Y. and Takano, M.: SCIENCE 276, 770 (1997)

「電子顕微鏡」 Vol. 32. No. 3 (1997) p.176-178 より