インドでぼくも考えた

3.コルカタにて

 旅の前半が終わり,木曜日,コルカタでの会議2日目の途中です.なんで会議の途中で書いてるかって,まあそういうこともあります.火曜の夜中にコルカタ空港に到着し,オークリッジ国立研究所のDavid Singhと一緒にホテルまでタクシーに乗る.シンさんは前から仕事の上で知っていたが,今回初めてバンガロールのゲストハウスで偶然出会った.今回のIndo-US会議の米国側の主催者です.バンド計算屋で,とても穏やかにしゃべる人.このタクシー,若い運ちゃんが隣に友達を乗せて走りだし,なんか暗いなと思ったらメーター類のライトが一切点いてないので見えない.まあいいかと思いきや,なんとヘッドライトも点いてないじゃないか.冷や冷やしながら30分でハイアットリージェンシーに無事到着.料金は180ルピーと激安でした.ハイアットは会議会場のホテルで,市内中心から10kmほど離れた郊外にある超豪華なホテルです.フロントに赴くとなんと普通の部屋が空いてないので,今晩だけスイートルームに泊まってくれ(もちろんシンさんとは別々の部屋)とすまなそうに言われ,ずっとでもいいよと言うと,スリムな受付嬢が大きな瞳でにこっと微笑む.案内されたのは,ほうんとうに?と疑いたくなるほどすばらしい部屋でした.3面ガラス張りにバルコニーが付き,とにかく広い.有に30畳はあるリビングルームの中に大きなソファー,モダンなテーブル,ガラス製の仕事机(マウスが使えないぞ)が配置され,さらにその奥に広いベッドルームがあって,両者は豪勢なバスルームで繋がっている.どこもモダンな調度品で飾られ,文句の付けようがない.束の間のお金持ち気分に浸り,すでに12時を過ぎているというのに眠るのがもったいないと興奮しておりました.明朝始まる会議では2番目に話さないといけないのに準備もせずにです.貧乏人にはちょっと刺激が強すぎたようです.

ハイアットホテルのスイートルーム

 水曜日の会議初日,それでも朝早くから起き出して話の準備をし,贅沢の続きでルームサービスの朝食を取る.気合いを入れ直して40分の講演に臨み、いつものように息切れすることもなく適当に笑いを取りながら上手くこなせたと思う.沢山の質問が出て何人かからgood presentationだったと誉めてもらえたので素直に喜ぶ.その後は寝不足と疲れでぐったりして一日が終わりました.夜は藤森先生他何人かと近くのショッピングセンターに行った.ホテルから一歩外へ出るとスラム街となっている.暗い道端でどう見ても違法そうな水道から出る水で頭を洗ってるおばあさん,元気に走り回る子供たち,地べたに座り込んでだべっている若者たち.5分ほど歩くと10ルピーの入場料を払って入るモダンなマーケットがある.中は小さな土産物屋や服屋さんがあり,インド風のシャツを330ルピーで購入.さらに歩いていくと映画館が集まったシネマコンプレックスがあり,その並びの無国籍料理風な洒落た店で食事をした.インドも実は急速に変化しているのである.この辺も2−3年前はひどかったらしいが,新しい建物がどんどん建っていて日本と変わらない風景が見られるようになってきたようだ.カルカッタも中心部は込み入っていて変わりようがないようだが,郊外はどんどん近代化しているらしい.翌日のランチで隣になったSugataさんは近くに住んでいる人で,紅茶の話を始めたら盛り上がってしまって,昼休みに近くの大きなショッピングモールに紅茶を買いに連れていったもらった.そこは完全に西洋化された場所で,ケンタッキーフライトチキンにピザハット,スーパーマーケットにデパート,そしてもちろん映画大好きインド人には映画館.そこでお土産に一番いいダージリンの紅茶を1kg,300ルピー(900円弱)で買いました.実に安い.

会議始まる。左下はインド側主催者のTanusri Saha-Dasguptaさん。
バンガロールの若き理論家Shenoy

木曜は夕方から会議のホスト機関であるBose Centerという研究所へ赴き,若い人たちのポスター発表を聞いてその後,主催者ディナーがありました.ディナーといっても屋上で例によってカリーとご飯とナンに甘い物を食べるというもの.バンガロールの若い理論家Shenoyと話し込む.インド人の生活についてカースト制度,結婚,持参金の話など興味深かった.インド本を読むと,結婚は今でも親がカーストの身分に合わせて決める,とか,花嫁は日本の価値にして数千万円の持参金を払わなければならないとか,いろいろ書いてあるが,都会ではこのような慣習は消えつつあるとのことでした.彼から,イラクについて日本はどう考えているのかとか,某首相が神社に行くのはと聞かれて返事に困ってしまいました.

 金曜は朝早くから一人ホテルを抜け出して市内に出かける.カルカッタに着たら必ずバンガロールで見損ねた博物館と市内の雑踏を見に行きたいと思っていたので,少々気が引けながらもタクシーに乗り込む.モイダン公園という広大な公園に着き,散歩をしてから中心街に入っていった.公園は静かでクリーンな憩いの場という感じだが,一歩外へ出るとクラクションと人の波.チョウロンギ通りという大きな通りに沿って歩いていくと皆さん屋台の開店準備に忙しそうにしているので,変な日本人が歩いていても気にしない.が,10時を過ぎて準備が整ってくると,来るは来るは客引きお兄さん.どいつもこいつも,ナマステで始まり下手な日本語が続き,いい店に連れていってやるとなる.だた歩いているだけで買い物はしないと強く言っても全く聞く耳を持たない.でも,少し話をしてやると満足したのか諦めて離れていく.要するに暇なのだろう。大通りから一歩細い通りに入り込むと,庶民の朝の生活が強烈に飛び込んできて実に面白い.丸い石釜の上でナンを焼く少年や地べたに座って器用に包丁で野菜を切るおじさん,見事に狭い場所で店開きをしている散髪屋さんなどなど.カメラを向けて笑いかけてみるとにこっとしてくれるのがうれしい.撮った写真をモニターに出して見せてやると喜んでくれる.道端のチャイ屋さんにトライしてみようかとも思ったが,歩道に食器をこすりつけながら洗っている人を見かけて,君子危うきに近寄らずと思い直し,近くのオベロイホテルで一休み.ここでもショウガの利いたマサラティーが疲れを癒してくれた.

モイダン公園にある美しいヴィクトリア記念堂とコルカタ市内の様子
道端でナンを焼く少年たち
問題のインドコイン。上2つは東インド会社1818年とある。一番下はムガール帝国時代1000年前のコインだそうだが。
しつこい客引きNo.5との6

そこでいよいよ目的の博物館へ向かうが,その目前で店開きを始めたコイン屋に引き寄せられる.コイン屋といっても粗末な布の上にコインを並べただけ.店主は英語がだめなようでなぜか英語の話せる怪しい奴が割って入ってきて駆け引きが始まった.あとで気が付いたが,こいつはあちこちの店で通訳兼交渉係として仕事をしているようだ.さて問題のコインだが,インド帝国最後の1ルピーコインが300円とかインドの神々が踊る1818年の大型銀貨が800円(East Indian Companyと刻印がある),ムガール帝国アクバル帝時代の500年前とか1000年前のコインまで出てきて,一目見て気に入ってしまった.しかしながら,これらが本物かも値段が妥当かも全くわからない.でも,こんな物をまじめに模造したら1000円で割が合うはずもなく,見るからにそれらしくて値段もまあまあなので一応信じて,何とか値切ろうとするが敵も然る者,なかなか値段が下がらない.結局,根負けして1割引きで諦めました.でも,とてもよい土産が出来てうれしい.後日談だが,米国にいる知り合いのインド人にこの話をしたら,インドでは偽コインが大量に出回っていると教えてくれました.恐らくこれもそうでしょう.なんと言っても安すぎる.でも,まあお土産としては上出来で,すべて研究室の皆さんにあみだくじにより配られました.皆さん,偽物でも怒らないでね.

 インド博物館は入場料が150ルピー.でもこれは外国人料金でインド人は10ルピーです.6番目の客引きおやじが,黙って10ルピー出せば大丈夫だというが,どうしてだと聞くと,どこかの聞いたこともない地域の奴はおまえみたいな顔をしているとぬかしやがる.むかっときてちゃんと150ルピーを払う.でも,実はコイン屋でお金を使いすぎて残りが心許ない.博物館は彫刻などそれなりに興味深かったが,特に感動するほどでもなかった.しかし,コインの展示だけは気合いを入れて見て回り,先程買ったコインがそれなりの時代のコインの特徴を備えているように見えたので,一応,満足.

 外に出ると5番目の客引きカラーシャツと再会する.ちょうどよいので両替屋まで連れていってもらう.その後仕方ないので店に付きあうと,親戚一同4人に囲まれ迫られるが,どれもこれも大した品物がなく,しかも高い.さっさと強制退去し,それでも付いてくるカラーシャツの根性に敬意を表して20ルピーのチップを上げたのでした.カラーシャツはタクシーまで捕まえてくれて行き先を伝え,最後になぜか固い握手をして分かれたのであります.インド人は面白い.

 その日の夜は皆で町の中心を流れるフーグリー川(ガンジス川の支流)でボートに乗り,気持ちのよい川風に吹かれながらリラックスしました.途中で寺院に立ち寄り,船上で夕食を食べて何人かの人と親しく話せるようになる.米国人と長時間話すのは大変でなかなか話が続きませんが.ちなみにアルコールは出ないので,バンガロールでの昼食以来,禁酒を続けています.フーグリー川はゆったりと永遠の時を刻むように流れていく.川岸にはいくつかのガート(沐浴場)があり,水に入って身を清めている人々が見える.洗濯中の女の人や体中泡だらけにしてお風呂中の男の人,元気に泳ぎ回っている子供たち.川の水は明らかに濁っていてとてもきれいには見えないが,みんなへっちゃらなのである.われわれのような頭でっかちの年寄りがここでバタフライをすると(たかのてるこさんの「ガンジス川でバタフライ」は面白い),きっとみんな下痢をして赤痢にかかって肝炎で死ぬ思いをすることになるのだろう.バンガロールの研究所でランチを食べた時,ゲストにはミネラル水が出されたが当地の皆さんが飲んでいた水は明らかに黄色かった.この船でも最初に出された水はコップに入ったミネラル水だったが,それはだめだと突っ返して使い捨てのプラスチックコップに変えられたのでした.もちろんコップを洗ったのは生水だからです.われわれはなんと弱い存在かと思わざるを得ません.もし,世界に何かが起こってサバイバルが始まったら,真っ先に死に絶えるのは欧米人と日本人でしょう.ここに生活する人々は恐らく最後まで生き残り,今と変わらぬ生活をずっと続けていくに違いありません.

 いよいよ土曜日,インド最後の日です.朝からまじめに会議に出席する.これまで会議の内容についてはほとんど触れませんでしたが,Novel and Complex Materials(新規で複雑な物質?)について実に様々な話がありました.ほとんどが物理屋さんによるものでかなり難解であり,また,インド人の早口英語も目白押しで,しばし瞑想に耽っておりました.仲良くなったカルカッタのスガタさんから,瞑想とは何も考えずにリラックスしているが精神的には高揚している状態であると教えてもらいました.私のは前者のみなので瞑想とは呼べないものでしたが.午後には今回の会議の成果と今後の課題についてパネルディスカッションがあり,活発な意見交換がなされました(今一内容がよくわからないが).一週間ほど前に首脳会談が開かれ,今後のIndo-USの協力関係を発展させることが決まったそうです.両者が半分ずつ(ここが大事らしい)資金を負担して(総額が一千万円弱),今後あらゆる分野(津波対策まで含む)で協力関係を進めるそうな.もちろん日本には関係ありませんが,最近,日印でも同様の会議が開かれるそうです.夕方まで会議は続き,最後に唯一の化学者であるCornel大のFrank DiSalvoがエネルギー問題を論じて(中身は燃料電池の触媒の話),主催者であるDavid Singhと Tanusri Saha-Dasguptaが締めくくり会議は無事終了しました.めでたしめでたし.日本人は完全にエイリアンでしたが,両国の著名な研究者や若い人たちと顔見知りになり,それだけでも大変有意義であったと思います.

 帰りの飛行機は午前2時の出発です.今,9時を過ぎ,ホテルのインド料理レストランで一人食事を終えたところ.ちなみにこのホテルには立派なイタリアレストランもある.関係ないが,プールサイドを歩いていたらマッチョな男の人に声を掛けられ,連れて行かれたところはマッサージ室.アーユルベーダのオイルマッサージを一時間5千円弱でしてくれるそうで,是非試してみたかったが時間が取れず残念でした.話が脱線したが,このレストランもとてもサービスが良く長居をしながらこの文を書いている.冷えたビール(Kingsfisherというバンガロールのビール)とパパタ,タンドーリチキンとガーリックナンを頼む.ここで食べたタンドーリチキンはこれまでで最高の味わいでした.カリーは量が多いので止めとけと言われ,味見にといって結構な量をサービスしてくれた.最後にマサラティーで締め,大満足です.

 インドではお金を出せばとても行き届いたサービスが受けられる.この高級ホテルでは設備はもちろん,従業員の応対も気持ちよく,例えばエレベータで一緒になると必ず丁寧に話しかけられる.英国統治時代から引き継がれたものでしょうか.ただお客にへつらうのではなく,各自の仕事に誇りを持っていることが窺われてこちらも気持ちのよいものです.欧米のそれなりのホテルでもちゃんとしたサービスが受けられると思いますが,何か違いがあるような気がする.さて後1時間ほどでホテルを出発し,バンコク行きの飛行機でインドを発ちます.何やらデリーではテロがあったそうでびっくりしましたが,デリー経由にしなくてよかった.

フーグリー川をボートで下る。私には泳げそうにない。いろいろな意味で。

4.最後に

 来る前からずいぶん気合いを入れてきたインド訪問でしたが,以外なほどトラブルもなく,それほど不快な目にも遭わず,気持ちよく過ごすことが出来ました.心配していた下痢問題も無事にやり過ごし,食事もまあまあ楽しんだ.若い人たちが経験するような刺激もなかったけれど,これも年相応と考えるべきでしょう.仕事で来ているので当たり前かもしれませんが.でも,お陰様で2種類の日本人の内,またインドに来たいと思う方に入れたようです.インドで何を考えたのか,ちゃんと整理できませんが,帰りの飛行機の中で考えてみます(と思ったのですが,疲れていてずっと寝てました).皆さんも機会があったら是非インドを訪れてみましょう.きっと人生観が少し(かなり?)変わるはずです.次回また機会があったら,もう少し余裕を持ってインドに入ってみたいものです.

2005年10月30日