荷風のリヨンにて

 リヨンに向かってエールフランス便は飛んでいる。と言っても、降りるのはシャルル・ドゴールだが、そこからTGVで2時間、南に移動すると今回の目的地リヨンである。元A研のMさん、久しぶりの四方山話を書きますので、是非読んで下さいな。前回の予告通り書き始めたので、今回は挫折せずに最後まで頑張ります。

 ゴールデンウィーク開けの成田は静かで快適。おまけにこの飛行機、見事に空いている。はっきり言ってがらがら。10年前の機種でかなり古いがありがたい。さて、現在、2週間前からの豚インフルエンザ騒ぎで混乱の最中である。なかなか日本人の感染者が出ないのでいらいらしたマスコミは、昨日とうとう、シカゴで日本人の子供がかかったというニュースまで取り上げ(すでに何ともないというのに)、今朝になって国内でそれらしいのが見つかったと大喜びである。まったく馬鹿騒ぎで困ったものだ。本当に危険なインフルエンザが流行ったときの予行演習かもしれないが、オオカミ少年にならないことを祈る。

 この災難からは大学も逃れられないようだ。聞くところによると、阪大、京大は海外渡航禁止令が出て、敢えて行けば、帰国後一週間の自宅待機が待っているらしい(ほんとうに休めるならちょっと魅力的だが)。このせいで今回のリヨンでの日欧フラストレーション会議をすでにキャンセルした人もあると聞いた。どのくらいの人が取りやめたのか気になる。幸い、東大は渡航自粛であり、帰国後は当分熱を測れというお達しである。うーむ、まあ、仕方ないか。この弱毒性の段階でかかっておいて、第2波の強力になったウイルスに備えるべきであるというのは素人の誤解であろうか。

 永井荷風、有名な人である。しかし今回までほとんど無縁であった。リヨンとネット検索すると、加太宏邦著の「荷風のリヨン」という本が引っかかったので読んでみた。荷風は100年以上前の1907年、リヨンに8ヶ月滞在し、その後パリに2ヶ月居て帰国し、すぐに「ふらんす物語」を書いた。ついでにこちらも読んでしまった。この本、当時は発禁本となった曰くものであるが、100年前に如何に日本人がヨーロッパに憧れていたかが読み取れてなかなか面白い。荷風はフランスの文化、芸術、特に女性を愛した人である。「荷風のリヨン」は、一見パリの話ばかりに思える「ふらんす物語」の中に、実はリヨンでの体験を元にして書かれているものが多くあることを述べている。実際に著者が現在のリヨンの街を歩いて、荷風がどこに住んでいたか、どこをどのように歩いたかを実証したものである。いささかマニアックではあるが、100年経ってもあまり変わらないヨーロッパの街並みの記述は興味深い。というわけで題名は決まった。

 今回の日欧フラストレーション会議は、日本の科研費特定領域「フラストレーションが創る新しい物性」とヨーロッパの同様の組織「Frustration Network」の合同会議である。有り難いことに皆さんの推薦を頂いて、会議初日のトップバッターを務めることになった。もらった時間は40分。長いのである。話す時間35分の間に聴衆を如何に楽しませるか、大きなプレッシャーだが、頑張ります。カゴメの物理に適度なジョークをふりかけて。

 もう一つ、今回の旅行のメインイベントは、かのポール・ボキューズである。40年以上、ミシュランの三つ星をキープし続けている超有名なフレンチレストランである。ちなみに、星の付いたレストランには生まれてこの方、行ったことがないので、ちょい冗談で会議に参加する若い人(それ程若くないか)を誘ってみたら、奥さんが是非行ってこいと仰ったそうで(たいした奥さんだ)、試しにネットで予約してみたら、すんなりOKがきて、会議前日の晩に二人で探検しに行くことに相成った(長い文だ)。なんとホームページに料理も値段も書いてある。コースメニューは、130から210ユーロ。ワインを付けて+50といったところらしい。うーむ、高いのだろうか、安いのだろうか?ちなみに、1975年にジスカールデスタン大統領に出したトリュフのスープは80。「アスパラガス」は38である。なんでアスパラガスが5千円もするのか。何を食べるべきかまだ思案中だが、まあ、何事も経験であり、話のタネである。ちなみに、日本にもポール・ボキューズのブラッセリーが何軒かあり、そこでも伝統的な料理のコース(トリュフのスープを含む)が食べられるようだが、値段は7.3千円だった。この値段の違いはどこから来るのだろう。両方行かないと永遠に分からないか。さて、どうなることやら。

 がらがらの機中で前書きを書いてきたが、すでに2ページ目となった。今回はちゃんと書けそうです。続きをご期待あれ。さあ、話の準備をせねば。まだ、PPファイルも完成していないし、頭の中の整理も不十分だ。では、また。

 リヨンはフランス第2の都市だというのに街の中心部はそれ程広くない。ローヌ川の東側に広がる普通の街、西側にソーヌ川と挟まれてある中心部、それにソーヌ川の西、フルヴィエールの丘に続く旧市街。この旧市街は世界遺産となっていることからもわかるように、中世の古い街並みを残す美しい場所である(でも、実際に歩いてみるとたいしたことはない。文句ばかりで済みません)。丘の頂上にそびえ立つフルヴィエール寺院では他に類を見ない見事なモザイク画に驚かされる。美は常に富の象徴であり、かつて絹織物で栄えたリヨンの栄華を伺い知ることができる。丘の下にあるサン・ジャン大司教教会ではなぜかミサに参加した。ゴシックの高い天井に響く賛美歌、牧師の歌うような説教(多分)を聞きながら、神の世界を信じない身としては申し訳ないが、それなりに楽しかった。が、1時間を過ぎて半分以上立たされていささか疲れる。ぼっとしていると、突然、周りの人同士が握手を始め、驚いて参加する。隣のおやじに前のかわいい女の子と。おまけに、ありがたい(たぶん)水をかけられる。なるほど、こういうのがミサなのかと妙に納得した次第である。フルヴィエールの丘にはローマ時代の劇場があり、今もオペラなどに使われている。半分、廃墟となった遺跡にローマ時代の柱が残っている。リヨンはかつてガリアの中心都市であり、ローマ帝国の最前線であった。荷風の時代よりも一桁昔の話である。

 今回滞在したホテルは街中心部の南に位置するペラーシュ駅の近く、ローヌ川沿いにある。ペラーシュ駅前の公園を歩いているとなぜか声をかけられる。一度は、若いあんちゃん。公園の周りに並ぶ市場の店をどうのこうのと教えてくれているようだが、もちろん理解不能。ジュヌコンプロンパ(わからん)といっても、わかったと言ってまだ続ける。不思議なやつだ。次の日はおばさんの団体。何かのアンケートをしているようだが、こっちは、ジュヌコンプロンパで、にこっと通してくれた。後ろであいつはアメリカ人かという(たぶん)会話が聞こえる。アメリカ人とアジア人の区別も付かないのか。

 新市街の北にあるテロー広場にて。天気は一応、晴れだが、強風。居心地のよい広場を求めて歩き回り、最後にここにたどり着く。ルイ14世が馬に跨がるベルクール広場はただ広いだけ、他も雰囲気が今一。でもここはいかにもヨーロッパという感じの四角である。市庁舎と美術館に囲まれて、巨大な噴水があって。カフェに座り、山羊のチーズの巨大なサラダ(9ユーロ)にパンとビールにエスプレッソを飲んでくつろぐと、これぞヨーロッパの初夏という雰囲気が感じられる。きっと、荷風も1世紀前にこのあたりに座って街行く人々を眺めたのであろう。周りを歩いていく人々を見ていて、いつも不思議に思うこと。半袖の人もいれば、セーター姿も分厚いジャケットを着ている人もいる。なぜこうもバラエティーがあるのだろう。うーむ。明日の発表の準備は未だに完成していない。練習したら、42分もかかってしまった。これを35分にするには相当削るしかないがなかなか難しい。時間が長いと通して練習するだけで疲れ果てるので困る。広場のカフェでパワーポイントをいじっているのは僕くらいのものだね。怪しい日本人だ。

 夜7時過ぎ、ついに噂のポール・ボキューズ(PB)に向かう。九州から飛んで来たM氏と一緒にタクシーに乗り、ソーヌ川に沿って北へ10kmほど行ったところに、異様に派手な建物が現れる。もちろん、二人ともネクタイ姿です。真っ赤な服を着た真っ黒な人がタクシーのドアを開けて出迎えてくれる。緊張が走るが、「勇気」を出して入り口で記念撮影をする。まさにお上りさんである。びしっと決めた人々が、この夜の最初の客を迎えてくれる。豪華な内装に圧倒されながら奥のテーブルに案内される。分厚いメニューが出てくると期待していると、意外に小さなメニューが。表紙にはPBおじいさんがミシュランの赤い本を41冊積み上げた横でにっこり笑い、開いてみると、「ようこそリヨンへ、すてきなフランス旅行を」だって。裏にも日本語でPBおじいちゃんとレストランの説明が書かれてありました。実は、ネット予約したときに、一番安い130ユーロに飲み物を付けたコースを希望と書いたのでこれが出てきたのだった。値段が高くなると選択肢も代わるが皿数も増える。どうせ沢山食べられないので不要。

 さあ、食前酒(キールロワイヤルのような)を飲みながら、メニューを選ぼう。前菜は、かも+フォアグラ+ピスタチオ、または、ロブスターのカセロール。メインは、スズキのパイ包み焼き、または、鶏の胸肉(フランスの大地を走り回ってたやつのなれの果て)、どちらも名物料理である。それに、チーズのセレクションと、デザート食べ放題が付いている。飲み物は白、赤のハーフボトル。前菜はやはりどうしても食べてみたかったトリュフのスープにと意を決して頼んでみるとあっさりOKしてくれる。もちろん値段はアップだが。相棒もはみ出してアスパラガスを選択。メインは、かの有名なスズキのパイ包み焼きを。これは2人前からなので二人で仲良く食べよう。ぼちぼち客が増えてきて、皆さんちゃんとした身なりをしているが、場違いなアメリカ人らしいカップルも。店の給仕はいつもフランス語で話しかけてくる。こっちが分からないのを知っているのに無視して。まあ、これがしきたりなのだろう。もちろん、英語で話せば英語で返ってくる。

 しばらくして、チーズの何かと小さな何かのスープが出てくる。付き出しです。食べ終わるとさっと片付けられる。何せ給仕している人が多い(客よりは少ないが、たぶん)ので、何事もてきぱきと進む。ちなみに、すべての器はPBオリジナル。ワイングラスにはおじいちゃんが立っている。さあ、いよいよ、かのスープとアスパラガスの登場だ。スープはキノコ雲スタイルで、中にとても熱い透明のコンソメスープが入っている。クリームスープだとばかり思っていたので意外。黒トリュフの薄切りにフォアグラやニンジンなどの細かい角切りが入っていて、うーむ、実にいい香りがする。値段を思い浮かべ、感動しながら有り難く頂きました。これだけで十分価値がある、かな?M氏のアスパラガスもすごい。長さ30cm、太さ2cmはあろうかという巨大なアスパラガスがなんと8本も出てくる。ちょっと試食させてもらったが、口の中でとろけるような美味しさ。そういえば、今ヨーロッパは白アスパラガスが旬の季節であった。と、突然後ろに現れたのは、ポールおじいちゃんである。正直言ってびっくりした。ちゃんとご健在なのである。各テーブルを回って挨拶をしてくれる。ウエイターに聞くと、現在83歳とのこと。当たり前だが、写真の通りの人物である。写真を撮りたかったが、なかなか勇気がなくて。ところが、後でまた現れて、今度は一緒に写真に写ってくれた。むしろ遠慮せずどうぞ、という感じで、実に気さくな雰囲気だ。お陰で、すっかりくつろぐことが出来て、料理もより楽しめたと思う。ありがたや、おじいちゃん。長生きして欲しい。でも、会いたい人は急いだ方がいいかも(失礼)。

 さて、メインのスズキはパイの中に埋まって現れる。テーブルの横、見事な手さばきで解体され、パイと一緒に大皿の上にのせられた。薄味で柔らかくてとても美味しい。はらわたの代わりにロブスターのムースが入っている。酸味の効いたソースもすばらしい。長生きすると、こんないいこともあるのです。うらやましいでしょう。ふふふ。ちなみにこのスズキ、単品で頼むと一匹124ユーロである。メインも終わってすっかり満足し、おなかが一杯になったところで、例のチーズが現れる。赤ワインを開けて様々なチーズを楽しむのだが、これはなかなか日本人にはつらい。大きなワゴンに10種類以上のチーズがところ狭しと並べられていて、全部説明してくれるが(もちろん、フランス語で)、カマンベールしか分からない。敢えて適当に4種類を少しずつ頼むが、最後に頼んだ巨大な円筒形のブルーチーズがくせ者で恐ろしくしょっぱい。

 チーズの洗礼が終わると、最後のデザートとなる。おっとその前に、小さなカップに入ったチョコレートムースに、2段重ねのチョコレートとクッキーの盛り合わせが出てくる。ムースだけ頂き、後はパス。ようやくフィナーレに辿り着く。これまた、3つのワゴンに並べられたカラフルなケーキ、フルーツ、アイスクリームの饗宴である。もちろん、食べたいだけ食べられる。好きな人には堪えられないだろうが、残念ながら私には宝の持ち腐れ。ブルゴーニュ・フルーツカップという、真っ赤なベリーが何種類か入ったカップを食べる。酸っぱくて甘くなく、おかげでチーズで重くなった口の中がすっきりした。相棒は、PBおじいちゃんのおばあちゃんが作ったという、フローティング・アイランドを注文する。目の前で大きな皿にクリームを流し込んで派手な飾りの付いたメレンゲの山を浮かべてくれる。さらにチョコレートケーキもお食べになった。誠にご立派。最後に、エスプレッソを飲んで、すべてのコースが終わりました。

 糖尿病のくせに、そんなに食べて大丈夫かと怒りの声が聞こえてきそうだが、これでも実はパン類を食べないと血糖値が下がってしまう。おまけにワインを飲むとインスリンがよく効いてまた下がりやすくなる。ソースのバター類やチーズは後でじわっと効いてくるのでこれまた問題だが、すぐには血糖値を上げないのでバランスが難しい。2型糖尿病の人はもちろんだめだが、1型は意外と食べられるのです。ははは。どうも。

 初の三つ星レストラン探訪であったが、まあ、それなりに楽しんだと思う。料金は全部で200ユーロ+タクシー代30ユーロ。相棒は30程安い。この値段を高いと思うか安いと思うかは微妙だが、料理1/3、雰囲気(器や壁に掛かった絵や豪華なシャンデリア)1/3、サービス(PBおじいちゃんとの写真も含めて)1/3といったところか。恐らく一生に一度の貴重な経験でした。M氏の奥様、ありがとうございました。今度はM氏とお二人で是非どうぞ。

 翌日、朝9時から日欧ワークショップが始まる。もちろん、これがメインの行事であるので誤解なきように。昨晩の出来事は「単なる食事」に過ぎず、この文章の中では読者のご期待に応えるためにその大部分を占めているに過ぎない。まあ、いつもそうだが、誰もサイエンスの報告など期待していないでしょう。今回の欧州側の主催者、リヨン大学のホルズワース教授の挨拶の後、気合いを入れて話をする。まず、荷風の話から始めて、最後をPBおじいちゃんとのツーショット(わざと小さい写真を使ったので、ほとんどの人が気付いていなかったが)で締めくくる。相変わらず、本番になると早口になって、かなり早く終わってしまったが、それなりにアピールしたと自己満足。カゴメの世界は奥が深い。

 こういう100人程度の小さなワークショップのいいところは、沢山の馴染みと出会えることだ。コーヒーブレークに友好を深める。もちろん日本からも沢山の知り合いが来ているので、皆さんと議論を深め(美味しいものを食べて)さらに仲良くなれるのも有り難い。さて、インフルエンザ騒ぎのために日本からの参加者の約1/3にあたる16人が直前でキャンセルした。しかし、会議の最中に、京大、阪大では帰国後の自宅待機が解除されたとの連絡を聞く。取りやめた人には同情するしかない。

 なぜか、クロアチアの女性研究者が話しかけてくる。最近始まった(らしい)日本−クロアチアの国際協力プログラムに応募したいので協力しろと言ってきた。ザグレブの研究状況を説明され、何とか研究資金を稼ぎたいようだ。もちろん協力してあげたいが、果たしてどの程度大変なことか分からないので適当に返事をしておいた。でも、当然ながら向こうはすっかりやる気になってしまった。困ったが、アドリア海にトブロクニクは魅力的ですね。

 最後にまたまたご飯の話。やはり、美食の街リヨンではこれに勝るものはない(これしかなかったりして)。ちなみに朝はホテルのビュッフェ。悪くはないがよくもなく、さすがに毎日同じで飽きてくる。ただ、顔なじみになった女の子は愛想がよくて、毎朝にっこりしてくれるのでうれしい。昼はリヨン大学の会場隣のカフェテリアで。フリーだが、まずい。その反動はすべて夜に向かい、会議終了後何人かで街に繰り出すことになるが、見事に裏切られたことがない。PBから始まって、旧市街のレ・リヨネ、市内のPBブラッセリー、ル・シュッド(南)、バンケットが行われたル・カロ・ド・リヨン、最後の晩は東京のM氏とまたまたPBブラッセリーのル・ノール(北)へ。どこも、2品+デザートのセットで25−35ユーロとまあリーゾナブルな値段である(始めがPBだったので、どこへ行っても安く感じる)。ワインとコーヒーを付けて+10といったところ。意外にあっさり味で、量も適当。カモやチキンが美味しくてとても満足。最後のル・ノールでは奮発してセットメニューはやめ、ちゃんと注文する。美しく、三角格子上に並べられたブルゴーニュのエスカルゴは忘れられない味。さすがにバターが多くて沢山食べられないので相棒の協力を得る。鳥むね肉のクリームソースもふんだんにキノコが入っていて美味。特にソースは絶品。デザートのチョコレートケーキは13分待って、外はスポンジ、中はとろとろのチョコ。すばらしい。これも半分は相棒のおなかの中に消えた。最後にアルマニャックを楽しみ、エスプレッソを飲んで、最後の晩にふさわしい贅沢をしました。来られなかった京大のKさん、ごめんなさい。会議を企画してくれた皆さん、心から感謝します。

 会議最終日は朝から2時間、座長をこなす(ちゃんと仕事もしているのだ)。スピンが水のように凍ったり、カゴメに化けたり、一人でふらふら歩き廻ったりと、難しい話にめげながらも、いかにも分かったような素振りでね。最後の最後は、わが日本代表の阪大のK先生の見事なスピーチで締めくくられた。また、このようなワークショップをどこかでやりましょうとのことなので、皆さん、その時を楽しみに解散と相成りました。Au revoir!

 TGVはリヨン駅を10分遅れで出発した。何事も順調に進み、シャルル・ドゴールでエールフランスに乗り継げば、今回の旅も無事終わる。幸い、熱もなく快調である。再び帰りの、今度は満員の機中で最後の仕上げ中。至急、手を入れるべき論文を2つも抱えながら、取りあえず、こっちを先に。2年前のヴェネティア以来、久しぶりに長い四方山話を書きました。今回は短いわりに話題も多かったし(食べる話ばかりだが)、読み応えがあったかと思います。毎度ながら最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。

では、また、どこかで。

2009年5月16日

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