真冬に夏のブラジルへ

 2011年12月9日、肌寒い雨の朝、ヨーロッパに向けて旅立った。突然、真冬になったかのように冷え込み灰色の雲が覆う東京を離れ、これから赤道に近いブラジルの町ナタル(ブラジルの尖った肩の辺りにある)に行くとは何とも不思議な気がする。今回の旅はそこで開かれる「カゴメとパイロクロアに関するワークショップ」に参加することだ。相変わらず最初に言い訳がくるのだが、なぜ日本の反対側までわざわざ会議に参加するのであろう。うーむ、私にもよく分からない。ただ、ブラジルは最近の経済発展を背景にサイエンスの発展にも力を入れており、このような会議を誘致して世界から人を呼び寄せているのである。かなりマニアックな香りのする会議であるが、きっとそれなりに有意義であることを期待して、遠ーーーーーーーい道のりを行くのである。

 今回は行く前に一波乱あって、ただ今フランクフルトへ向かうANA中。ブラジルに行くにはアメリカかヨーロッパを経由しなければならない。どちらを選んでも飛行時間はだいたい12+12時間である。しかし、アメリカ経由は乗り継ぎ時間が長いので、どうやっても36時間はかかる。ちなみに、これはリオやサンパウロへ行くのに要する時間で、ナタルへはさらに乗り継いで7時間以上を覚悟しなければならない。年寄りにはとんでもない話である。しかし、徹底的にサーチした結果、ポルトガルのリスボンとナタル間に7時間の直行便があることが分かった(サンパウロ経由になるとプラス10時間)。これをうまく利用できれば、30時間以内に辿り着ける(はずである)。しかしながら、この便、週3便しか飛んでいなくて、会議全日程に参加するためには帰りの便しか使えない。結局、行きはフランクフルト−リスボン−サンパウロ−ナタルで、帰りはナタル−リスボン−フランクフルト−成田という、考えられるベストの日程を3ヶ月以上前に組んだのでありました。

 しかし人生はいつも予定通りには運ばない。出発の2日前にヨーロッパの主催者から、ポルトガル航空が9-12日とパイロットのストをやるから気をつけろとのメールが入った。見事に今日からである。ポルトガル航空(TAP)のHPを確認すると確かに気をつけてねとあるがキャンセルにはなっていない。しかし、フライトの変更や払い戻しの相談をしろと書いてある。ちなみに、ANAのフランクフルト−リスボンもTAPの共同運行なのでANAに問い合わせてみると、なんとストがあることすら知らないとおっしゃる。他のルートを探すべきか、このまま強行すべきか、情報があまりに少ないので大いに悩むうちに時間が過ぎていく。恐らくリスボンには他の航空会社を使って今日中に辿り着けると思うが、そのあとのリスボンからのTAP便が飛ばなければ万事休すである。私のトークは12日、月曜初日の2番目なので、ストが予定通り行われれば確実に間に合わない。かつてすっぽかしたイタリアのどこかでの会議を思い出すねえ。根がまじめな人間である著者は、成田出発時間の18時間前になってTAPをキャンセルしてフランクフルト−リオ−ナタルのTAM航空に変更することを決断する。ちなみにTAMは世界一危ない航空会社とランク付けされているし、HH氏の大嫌いな航空会社でもある。しかしそのための前提条件はTAP便をキャンセルすること。日本のTAPオフィスに電話を掛けると、本国のHPで行った予約は知りませんとの冷たいお言葉。本国にメールを送っても返事はなし。仕方なく国際電話を試みるがなかなか繋がらず、繋がっても早口の英語に答えているうちになぜかポルトガル語になってしまう。途方に暮れて、ノルウェー人のPD、ヨーランに助けを頼む。彼が15分以上も電話で粘ってくれて、ようやく向こうのオペレーターに話が繋がり、見事キャンセルできたのでした(と思っているが、確信はない)。向こうもストで混乱しているし、果たしてどうなることやら。特に帰りのナタル−リスボンの直行便は残したつもりだが、果たしてそうなっているのか極めて心配。新たに取ったTAM便は片道なので2100ドルと高いが、仕方ないか。これでストライキがなかったら怒るところだが、すでに8日夜の時点でかなりのリスボン便がキャンセルされたとのニュースを聞き、ある意味でほっとしています。

 さて、9日金曜日の昼前に成田に着いて、ANAでチェックインするときにストの状況を尋ねると、どこでその情報を聞かれましたとお姉さんがおっしゃる。全く知らないようで呆れてしまいました。事情を説明すると長いやりとりの末、ようやく、フランクフルト−リスボン便をキャンセルしてくれた。この種のチケットは途中を飛ばすと全部パーになってしまうそうで、例外的に認めてもらうことになったわけです。しかし、TAPはすでにHPでキャンセルや返金の交渉をすることを勧めているわけで、ANAの対応はちょっと気に入らない。フランクフルトに着いてリスボン便が飛ばないことが分かってから考えなさいというのではサービスがいいとは言えないだろう。

 離陸して5時間が経過しました。ANAに文句ばかり書いたが、このエコノミーの座席は結構快適。満席だが、非常口の横にいるので前はなし。装備は新しくて機能的。どこぞやの大きい機体に詰め込むだけという会社のよりは余裕がある。お気付きのように今年になって航空会社を乗り換えたので、ANAさんには今後とも是非頑張って欲しいと思っています。今日のフランクフルトの気温は5℃/-5℃らしい。東京よりはるかに寒い。今日はこのまま一泊して、明日土曜の夜のTAM便でブラジルへ向かう予定。さあ、これから何が待ち受けているやら。無事に真夏のナタルに辿り着けるといいのだが。

 9日土曜日の夕方、フランクフルト空港にてリオ行きのTAMを待っているところです。昨晩、空港に着いて乗る予定だったリスボン行きのTAP便をチェックすると何も問題なさそう。中央駅近くのホテルに着いてネットでTAPのHPを見ると、なんとストライキはキャンセル!という文字が並んでいる。というわけで結果的には最初から何も問題なかったのでした。なんと申しましょうか、まあ、世の中はこういうものでしょう。しかし、予定通り乗り継いでリスボンまで行かなければならなかったかと思うとぞっとする。12時間の後に3時間待って、さらに3時間乗ってからホテルを探すというのはほんとうにしんどい。と、負け惜しみを言ってこの件はすっかり忘れましょう。

 土曜の朝からフランクフルトの街を歩き回った。空港は何度も来たけれど街に出るのは初めて。気温は5℃。巨大なユーロのシンボルを眺めて中心部のレーメル広場に着くと、辺り一面に小さなお店が建ち並び、見事にクリスマス一色となっていた。しかし特に見るものもなく、地球の歩き方お勧めのレストランGemalten Hausに入って、リンゴ酒とスープと?Frankfurter Rippchenという豚の骨付きあばら肉を食べる。この骨付き肉、淡泊で悪くないのだが、直径10cm、厚さ3cmもあってとても食べきれない。リンゴ酒も付け合わせのザウアークラフトもとても酸っぱくて身体によさそう。お気に入りの帽子を忘れてきて慌てて取りに戻るというハプニングはあったものの、短い滞在を楽しみました。TAMの出発まで後2時間。今回の旅は書く時間がたっぷりあって長くなりそうだ。

 リオからナタルへの飛行機中。フランクフルト−リオのフライトも見事に満席で、旧式の機体のエコノミーシートは身体に堪える。ちょうどクリスマス休暇が始まる週末にあたったせいだろう。小さなスクリーンで、知恵をもったチンパンジー達がゴールデンゲートブリッジを闊歩する映画を見て、iPodの音楽を聴きながら12時間を何とか乗り切り、日曜の早朝、リオに到着。4時間待ってナタル行きの便もほぼ満員。揺れっぱなしの機内で書いています。さあ、これで金曜の夜までゆっくりできる。もちろん、明日の発表が終わってからだが。

 全く関係ないが暇なので最近の村上春樹の話を書きましょう。まず、ノルウェーの森を見てしまった。直子の配役と描き方が気に入らないが、他は良くできている。緑のスカートが長すぎるのと最後に電話をかける場所がアパートなのも頂けないが。次は1Q84の第3巻。面白かったが、最後の方に説明的になりすぎる記述がかなりあってちょっとね。次は1Q85が出るかなあ。なんて書いているうちに着陸態勢に入りました。

 さて、火曜日の夕方、会議2日目が終わってホテルに戻り、屋上のテラスにて。目の前には大西洋が広がっている。ここはナタルから南に15kmほど下がったところにあるポンタ・ネグラ海岸。太陽もすっかり傾き、涼しい海風に吹かれてビールを飲みながら気持ちのよい時間を過ごしています。ははは、羨ましいでしょう。時間を遡ると、日曜の午後1時頃に無事ナタルの空港に到着し、出迎えの車でこのホテルにやってきた。ホテルのフロントの親父からまだ部屋の準備が出来ていないので20分待てと言い渡され、待つこと2時間。すでに金曜から来ているMendelsがリゾート姿で現れて、ここはブラジルだから我慢しろと言う。しかし、長旅の疲れでだんだん腹が立ってきて思いっきり不愉快な顔で文句を言いにいくと、さすがに困ったようですぐに部屋のキーをくれる。なんとトリプルでテラス付きの広い部屋をどうも。後で主催者のJasonさんに聞いた話では、ブラジル側の担当者が行ったはずの予約が通っていないことに1週間前に気付き、一部の人が別のホテルに移動せざるをえなくなったとのこと。私の部屋もシングルが間に合わず、トリプルになったのでしょう。有り難いことで。そのまま午後6時にはベッドに潜り込み、翌朝、6時半に目覚ましで起こされる。慌てて起きて朝食を食べに行くが、レストランが閉まっている。これもブラジルかとあきらめて部屋に戻ってはたと気がついた。時差を間違っていて、まだ5時半でした。まあ、逆に間違えて朝の自分の講演をすっぽかさなくてよかったが。

ポンタ・ネグラ海岸。満潮なので浜辺は狭いが、潮が引くと美しい海岸となる。

 例のポルトガル航空の架空ストのせいで、ヨーロッパの多くの参加者は木曜の夜のリスボン−ナタル直行便でこちらに来て、すっかり週末をリゾートしたらしい。こっちは四苦八苦して辿り着いたというのに。と思っていたら、某大阪大学のKH先生は52時間の長旅をされてきたそうな。パリ経由でサンパウロに着き、搭乗券に書かれたゲートで行き先の違う飛行機に乗り込む寸前に呼び止められ、乗るべきナタル便に置いていかれて、さらに9時間待って別便でかろうじて到着したそうです。ほんとうに頭が下がります。その間違った便に乗っていたら今頃どこにおられたのか(ブラジル国内であることは確かだが)、大変興味深い話ですね。でも、お乗りになったナタル便できれいなブラジル女性と仲良くなられたそうで、まあ、捨てる神あれば拾う神ありでしょうか。

 月曜の朝9時から、リオ・グランジ・ド・ノルテ州立大学の立派な講義室で会議が始まる。最初はロンドン大学のWillsさん。昔から名前は知っていたが話を聞くのは初めてで、なかなか面白かった。次は私。その後カゴメの話が続き、大変有意義な一日でした。驚くことにいつものように眠くならなかった。ブラジルは時差が12時間で完全にひっくり返るので、アメリカ東海岸と同様に時差ぼけに苦しむはずだが、今回は西回りでヨーロッパに一泊したことがよかったようだ。せっかく遠路はるばるやってきて、時差ぼけで寝ていたのでは悲しいので、今回は正解だったようです。

会議の最初のスピーカーWillsさん、左は主催者のJason Gardnerさん

 月曜の夜は何人かで近くのレストランに行く。タコライスとエビ料理inパイナップルを食べ、ビールを2本とカイピリーニャを一杯飲んでも千円ちょっとと安い。味もまあまあ。アルコールをお嫌いな方はフルーツジュースを楽しんでおられた。こっちのジュースはとても美味しい。カイピリーニャはブラジルの国民的飲み物らしい。ポルトガル語で田舎者という意味で、サトウキビから作ったスピリッツにライムと砂糖が入って少々甘いが悪くない。ついでに、火曜の夜は海岸沿いのカクタスという怪しいインターナショナルレストランへ行って、魚とエビとカニを楽しみました。

 

某大阪大学のKH先生と私@さぼてん

 ホテルから会場まではバスで運んでくれる。昼飯もバスでホテルに戻って食べ、再び午後のセッションに向かうという毎日。朝早く起きて波の高い海岸をのんびり散歩するのが日課となる。元気な人は走っている。日差しは強いが風が気持ちよく、とても快適だ。水曜のセッションの最後に、最近ちょっと盛り上がっている「モノポール」とかいう話に関する激論がある。イギリスのグループが出したNature論文に対して米国のグループが大反論をしたため大きな混乱を生じていたので、当事者が集まって議論することになったらしい。予定の2時間を大幅にオーバーして行われた議論も最後にはサイエンスの議論というより、なにかせつない空気が漂いだす。うんざりしてトイレに行こうと立ち上がると、皆さんの非難と羨望の入り交じった視線を感じ、まずかったなあと思いながらも会場をあとにしたのでした。

 水曜の夜には全員でシュハスコという肉肉肉の料理を食べに行く。巨大なレストランのテーブルに座っていると次から次へと串刺しになった肉が出てくる。何種類もの牛、豚、鳥(鳥はなぜか心臓だけ)をナイフで切って皿に落としてくれるのを有り難く頂きました。最後には丸焼きのパイナップルまで出てきて満足。普段あまり肉を食べないので、一月分ぐらいの量を食べたかもしれない。

 木曜の午後はエクスカーションでお休み。ところが特にプランはなく勝手にしろということで、3人でナタル名物のバギーツアーに出かける(誰と行ったかはご本人のプライバシーのために秘密である)。小さなバギーで海岸や砂丘を走り回るという、ちょっと危なげなツアー。前の座席にはシートベルトがあるが、後ろは縁に座って前のポールを握りしめているだけ。運転手の親父は53歳、この道18年のちょい悪親父で弾丸ドライバーである。人気のない広大な砂浜を猛スピードでかっ飛ばし、砂丘に突っ込むとあちこちで急勾配を乗り越えスリルは満点、危険は一杯。そう言えばホテルで足を骨折した人を何人か見かけたような気がする。しかし、青空の下のドライブは爽快であり大満足。ちなみに料金は一人80レアルで3500円程度とかなり安い。ドライブの途中、波の静かなビーチで泳いだり、カイピリーニャを飲んだり、小魚が群れるラグーンでのんびりしたり、砂の斜面をそりで滑ったり、高台からケーブルでラグーンに飛び込んだりと結構楽しい。ランチは浜辺のレストランでシーフードを。おまけは(これが一番ショッキングだったりして)3人でバギーに乗ってホテルを出発したとたんにドライバーが別のホテルに立ち寄り、もう一人乗せると言い出す。そんな話は聞いてないと文句を言うがほとんど通じない。待つこと10分、果たしていかつい親父やおばさんが現れたらどうしようかとびくびくしながら。何せバギーの後部座席は3人で乗るには明らかに狭いのだから。そこに現れたのは結構若そうな女性でした。リオから一人でバカンスに来たマリアさん。変な日本人3人に囲まれて向こうも嫌じゃないかと思うのだが全く平気のようで、結局、不思議な取り合わせの4人グループで出かけることになる。彼女、とてもオープンないい人で、みんなではしゃぎ大いに楽しみました。あまりに楽しんだので写真はなし。ただ、バギーから振り落とされないように踏ん張ったのと、強烈な日差しで背中を焼きすぎて真っ赤になってしまったのは失敗だった(帰りの飛行機でも背中が痛くて睡眠不足)。

 最終日の金曜朝には、突然、主催者のJasonさんに座長を頼まれ、前日の疲れと日焼けのお陰でフラフラしながらマイクを持って走り回る。で、ちゃんと会議に貢献したということにして、午後の理論オンリーのセッションは失礼し、ホテルのプールの日陰でピニャコラーダを飲みながらボッとして過ごしている。強い風に吹かれ、陽気なブラジルの音楽を聴きながら。海にはパラグライダーのような帆を使って失踪するサーファーが気持ちよさそうに跳ね回っているし、干潮で幅の拡がった浜辺を何かの物売りの若者が歩いている。皆さん、それぞれのバカンスを楽しんでいるところに、少しだけ混ぜてもらいました。

 さて、金曜の夜、というか土曜の朝2時のTAP便でリスボンに向けて出発する。最後の夜ということで日本人参加者6人で少し歩いたところにあるレストランに赴く。特に選んだわけではなかったが、とても美味しいレストランだった。海の幸にキューバ風のチキンと焼きバナナ。よく冷えたビールとワインとピニャコラーダを飲んでいい気分に。1200 円ぐらいのブラジル赤ワインも冷えて出てきて、おまけにビールと同じく氷バケツに入れられるが、なかなかの味わいであった。途中から始まったボサノバの演奏もとても大人でシックな雰囲気を醸し出す。お陰で調子に乗ってカイピリャーナを2杯飲んだのが効いて、少し酔っぱらってホテルに戻る。空港へのバスの時間まで15分しかなく慌ててチェックアウトし、ヨーロッパ人十数名に混じって空港へ。しかし、案の定、飛行機の出発時間が1時間も遅れ、3時まで辛い4時間を過ごした(飲み過ぎたせいもあるが)。リスボンからそのままフランクフルト経由で帰る可能性もあったのだが、乗り継ぎ時間がぎりぎりなのでリスボン泊にしたのが正解だったようだ。他の人達はそれぞれの国へ乗り継ぐようだが、果たして間に合うだろうか(案の定、主催者の1人が乗り継げず困っていました)。ナタル−リスボンの直行便は7時間だが、相変わらずの混みよう。おまけに予約してあった席が来るときの混乱で吹っ飛んでしまったようで、久しぶりに内側の席に大男と並んで座っています(現在)。お陰でほとんど眠れなかった。後30分でリスボンに着く。ナタルと3時間の時差があるので到着は午後1時過ぎとなる。今日は元気があったらリスボンを見て回ろうと思うが、ちょっとしんどいかもしれない。旅の疲れとこの深夜便は少々ハードである。このまま、さらに3+11時間+待ち時間を過ごして日本に帰るなんてとんでもない。他の日本人参加者のほとんどは今日の昼の便で帰る予定だ。サンパウロやリオ便が遅れないといいのだが。KH先生が帰りは60時間を費やすなんて後日談があるとすごい(残念ながら順調に帰国されたようだ)。

 リスボン−フランクフルト便にて。リスボンは想像通り、独特の雰囲気をもった街であった。空港からのバスが3.5ユーロで、これで24時間市内交通もただ。おまけに帰りの空港バスも24時間以内なのでカバーされる。実に安い。ロシオ広場にとったホテルも快適。テラスからは広場とサン・ジョルジュ城が一望できる(写真を見てね)。疲労にめげず、午後3時過ぎになって何とかホテルを出発してテージョ川までの道を歩き、カセドラルに辿り着く。古式の市電28番に乗り、やたらと坂が多く狭い道の上り下りを楽しむ。そのうちにお腹がすいてきて、今日は朝から飛行機の中で小さなサンドイッチを食べただけだったことに気付く。すでに夕方5時を過ぎていて気温が下がり、あたりは暗くなり始めているが、レストランのオープンは7時以降。仕方なくカセドラルに戻りぼおっとしていると、土曜夕方のミサが始まり危うく取り込まれそうになるのを避けて、地球の歩き方お勧めのレストランラウタスコに行く。リスボンの下町で狭い迷路のような路地と階段が入り組むアルファマ地区にあり、とても雰囲気のいいレストランである。7時少し前に入っていくと、店の人全員で食卓を囲んでお話の最中だったが、入れと言われてテーブルにつく。お目当てのカタプラーナ(魚介類の蒸し鍋)は2人前からでがっかりしたが、代わりにマリシュコというシーフードリゾットなら1人前にしてやるということで、これと赤ワインを注文。いつものように「店のワイン」がデキャンタで出てくると思いきや、ちゃんとしたハーフボトルが出てきてテースティングまでさせてくれる。コペルトにパンと小さなチーズが出てきたので、なんと気前のよいことかと思って食べたチーズは別に7ユーロでした(美味しかったのでこれ空港でお土産に買った)。出てきた料理は貝にエビにストーンクラブまで入ったトマト味のリゾットで、薄味にだしがよく出ていて米のゆで加減も完璧。量は普通に2人前ぐらいある。これで17ユーロは高くない。調子に乗ってワインを開けてしまったので、追加で別のやつをと頼むと、若いお兄さんがにやっと笑って細長いハーフボトルを出してくれる。もちろん、どちらもポルトガルワインで1本目も悪くなかったが、2本目は格段に美味しい。高いかなあとちょっと心配しながら、全部飲んでリゾットも完食してしまいました。さすがに2本も開けると酔っぱらってきたが、最後には甘いポートワインを飲もうと決意していたので初志貫徹する。10、20、30年ものが出てきて、さすがに恐ろしくて値段を尋ねると、6、9、16ユーロ。もちろん、グラス一杯の値段です。間をとって20年ものを頼むと、赤茶色がかった液体が現れる。日本では「ポートワイン」の悪影響で安物に思われがちだが、本当のポートワインは独特の甘みがあって素晴らしいのです。店の雰囲気といい、料理のレベルも大満足のディナーでした。お値段はしめて44ユーロ。ワインは5/7ユーロと驚くほど安い。ちなみに、9時半までいたが、他のお客さんはゼロ。最初に準備を始めた厨房の人達も片付けに入っている有様。こんなに美味しいのに観光シーズンではないからか。というわけで貸し切りレストランにてゆっくりできたのです。外に出ると街はすっかり夕闇に包まれ、狭い路地にはファドの店から切ない音楽が流れている。本当はファドを聴きに行きたかったのだが、こんなに酔っては万事休す。人通りのまばらな路地をとぼとぼと歩き、カセドラル前で電車を待つ。多分、市電28番に乗ればロシオ広場のホテルの近くまで帰れると信じて待つこと10分、不安になり始めた頃に電車が現れる。幸い、終着駅がロシオ広場の近くで無事にホテルに戻り、そのままベッドに。

20年物のポートワイン。リスボンの夜は更ける。

 日曜の朝、午後1時半発のフランクフルト便を視野に、早くから歩き廻ろうと思っていたのだが、どっと疲れ(二日酔い?)が出て起きられない。かつてのポルトガル黄金時代の名残を残すベレン地区に行ってみたかったのだが時間的に無理なのであきらめ、近くのサン・ジョルジュ城に登る。城壁に立つとリスボンの美しい街並みを一望できる。ちょっと低血糖になって階段の上でふらっとしたときにはひやりとしたが、まあ無事に帰ってきた。荷物をまとめて、前もって確認してあった空港バスの乗り場に行く。出発まであと3時間、十分間に合うだろうと思いながら。しかし、20分間隔のバスはなかなかやってこない。と、黄色い服のお姉さんに声を掛けられ、空港バスは今日ここには来ないと告げられる。マラソンか何かのレースがあるらしくルートが変わったらしい。付いてこいと言われ、隣の広場に待っているバスに乗ることが出来た。なんて親切な人だろうと思ったらバス会社の人でした。いやはや、危なかった。きっとこれが最後のハードルだったのだろうと思いながら空港に着き、無事にこのフランクフルト行きのTAP便に乗っています。ようやく、混雑から解放され、ゆったりとした気分で。リスボン滞在はあまりに短かったので(トランジットだから当たり前だが)、とてもリスボンを堪能したとは言い難いが、またの機会に是非訪れたいと思う街です。皆さんもどうぞ。

 フランクフルト空港は冷たい雨が降っていた。成田行きのANA便に乗り込もうとするとかざした搭乗券にピッと音が鳴り、ちょっと待てと言われる。おっとこれは噂のビジネスアップグレードかと思いきや、避難口座席の注意書きを渡されて残念。帰りも満員で疲れ果てた。さすがに12時間フライトを4回も乗ると嫌になってくる。さて、今回のヨーロッパ経由ブラジルの旅はいつもより遙かに刺激的で面白いものとなった。ストがなかったり、日焼けに苦しんだり、1人で酔っぱらったりと実にいろいろなことがありました。おまけに時間が一杯あったので論文を直さなければと思いつつも、これでもかと書いてしまった。ここまで読み進めて下さった方には感謝です。

 今年も残すところ1週間となりました。冬のオーストリアから始まって、アメリカ東海岸、フランス、アメリカ西海岸、イギリス、ノルウェー、ドイツにイタリア、そして今回のブラジルとまあよく走り回ったもんだ。来年も今年のイタリアのように完全休暇を取って、普段行かないところに行ってみたいものです。では、また。よいお年を。

2011年12月23日 Z