スコットランド探訪

 2007年5月24日,スコットランドに向けて旅を始めました.今回は3月をもって円満退所された,もと秘書さんの強い要望(脅迫)により書く気になりました.彼女は2年前にスコットランドを旅しており,いろいろと情報をもらいまして感謝です.

 今回のスコットランド行きは1週間の短いものであり,エジンバラ大学とセントアンドリュース大学を廻る予定である.相棒は京大化研の島川氏.実は以前からエジンバラ大学のポール・アットフィールド教授に誘われていたが,なかなか実現しなかった訪問であった.今年,新学期が始まって忙しい最中,島川氏と相談すると二人ともこの1週間だけピンポイントで時間の取れることが判明し,えいやっとスコットランド行きを決心した次第である.ポールは以前の話にも出てきたが,ヨーロッパの固体化学の若きリーダーである.少し物理よりでいい仕事をしていて,われわれとの研究上の接点も多く,彼の研究室を訪れることは大変有意義であろうと思われる.また人間的にも素晴らしく,今後の日欧友好の窓口となる重要人物であろう.もう一つの訪問先であるセントアンドリュース大学には最近知り合ったマッケンジー教授がいて,地理的にも近いスコットランドの有力大学を2つ制覇しようと目論んだ訳である.ちなみにイギリスには行ったことがあるが,スコットランドは初めてであり,いろいろと興味が膨らむのです.

 ただ今,エールフランスの機内,成田を出て9時間が経ったところ.あと3時間でシャルルドゴールに着く(途中で落ちなければ).島川氏は関空からほぼ同じ時間の便に乗っているはず(乗り損ねてなければ).シャルルドゴールで落ち合ってさらに2時間の旅でエジンバラに着くのは真夜中となる(仮定なしに夜は訪れる).明日の午前に早速セミナーをすることになっていて,機内で話の準備の合間に書き始めたのでした.周りのおばさん達の団体はパリ見物か,楽しそうです.もう一つ息抜きにシャンソン歌手の半生を描いたフランス映画を見ていたら,シャンソンの歌声に魂を揺さぶられて涙が出てきた.日本に帰ったらシャンソンに凝ってみようと決意する.

 スコットランドはご存じの通り,グレートブリテン島の北1/3を占める「国」である.ウィキペディアを見ると、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス) の構成主体のひとつである、となる。訪れる前のスコットランドのイメージ.俊輔のサッカー,キルトとバグパイプ,ネッシー,シングルモルトぐらいかな.食事は期待しない方がよさそうだが,北のスペイ川を登ってくるスコティッシュサーモンは美味しいらしい.帰りに触れましょう.

 行く前にこれ以上書くこともない.だが暇だ.今年の夏はトリエステの会議に行く予定である.ネットでトリエステについて調べていたら,「トリエステの坂道」と言う題目の本が引っかかったので早速読んでみた.作者は須賀敦子さん.イタリアに住んでイタリア人と結婚し,日本文学をイタリア語に訳した翻訳家.少しはまって彼女のエッセーを読み流してみたが,イタリア人のメンタリティーを奥深くまで掘り下げてあって大変興味深い.その中に川端康成の小説をいくつか訳して,イタリア人に感謝された話が出てくる.なぜかそのくだりに惹かれて今度は川端康成にはまっている.要するに機内で読むためにもってきた「古都」の話となるわけである.偉大なノーベル賞作家だが,恥ずかしいことにこれまで一冊も読んだことが無く,伊豆の踊り子から始まって,山の音,雪国と読んできて古都にたどり着いた.何だかよくわからないが,とても感傷的な内容を異常なまでに客観的に美しく表現する文体に驚く.次元が違いますね.皆さんも是非はまってみて下さい.関係ない話でどうも.バカなことを書いてないで少し寝よう.

 パリ,シャルルドゴールにて無事島川氏と落ち合い,エジンバラに着いたのは夜中の10時を過ぎていた.タクシーでポールが取ってくれたGlendale HouseというB&Bへ.イギリスやスコットランドでは,Bed & Breakfastという小さな民宿が沢山ある.大概は家族経営で部屋数も10以下.少し大きくなると Guest Houseと呼ばれる.読んで字のごとく,ベッドと朝食を供するが,もちろんベッドは個別の部屋にある.ここのおやじと奥さんはとても明るい.いつも元気に話しかけてくる.夜中に到着すると,2種類の部屋があると言ってテーブルにキーを投げてどちらか選べとおっしゃる.結果は私の負け.島川氏の部屋は室内にシャワーとトイレ付き,私のは7歩離れた別室にあるのでした.

 翌朝,有名なイングリッシュというかスコティッシュブレックファーストを食す.ジュースにシリアル,果物はセルフにて,注文ではソーセージ,卵,ベーコン,ビーンズ,キノコが盛られた大皿とコーヒーか紅茶.普通に頼むと多すぎるので半分の量でと頼むが,決して半分になることはない.でも,結構いけるのでした.イギリスでは朝食を3度食べろ,と言う格言があるが,さすがに3回も食べられない.

 9時にポールが迎えに来てくれる.久々の再会を喜び,近くのエジンバラ大学へ歩く.エジンバラ大学はスコットランドで一番大きな大学であり,その長い歴史の中で数々の偉人を輩出してきた.とポールに教えてもらったが,名前は忘れてしまった.そう言えば,かのダーウィンはここの卒業生だとか?大学内を見学してからセミナーをこなし,何人かの人と議論をしてデンスな一日を過ごした.

 夜は三人でエジンバラの中心へ出向く.5月も末のヨーロッパは日が長い.特に緯度の高いここスコットランドの日没は9時を過ぎていた.エジンバラは不思議な街である.マグマがゆっくり冷えて固まった花崗岩の上にエジンバラ城がそびえ建つ.三方は断崖だが,一方は緩やかに伸びていて,そこにロイヤルマイルと呼ばれる道が延び中世風の街が広がっている.道の両側には教会や古い商家,ホテルやレストラン,おみやげ物屋がぎっしりと並んでいる.エジンバラ城からロイヤルマイルを2/3程行ったところにワールズエンド,つまり世界の端などという洒落た名前のパブがあり,昔はそこが城塞都市の端であったらしい.エジンバラ城は戦うため(衛るため)の城であった.よって豪華な内装や美術品があるわけではなく,「歴史」が主な見所である.出発前に図書館で本を借りてきて簡単な歴史を勉強したが,とても間に合わない.ここでメアリー女王がジョージ何世を生んだとか,その子を誰かがすり替えた?だとか、奇跡の石がどうだとか,どうも歴史は苦手である.

長い歴史を物語るエジンバラ城
エジンバラの空を見上げると

 天気の話.着いた日の翌日は朝から晴れていたが,気温は10℃と寒いくらいでありセーターがかかせない.ところが晴れていると思いきや,突然弱い雨がぱらつく.空を見上げると沢山の雲の塊がどんどん流れていく.グレートブリテン島を横断するグラスゴーとエジンバラを結ぶラインは西風の通り道となっており,天気が目まぐるしく変化するそうである.一日で夏の太陽と冬の雪に出会えることもあるとか.といっても,夏は涼しく冬は暖かく雪も少ししか降らないらしい.よいところである.今回の旅の前半はこのような天気が続いたが,後半は完全な(日本的な)雨模様となった.特にセントアンドリュースではずっと雨が降り続き,現地の人も珍しいと驚くばかりであった.

 エジンバラのB&Bで知り合った若い日本人がいる.1年間,エジンバラ大学でポスドクとして研究を始めるために来たそうで,アパートに入るまでの時間を過ごしていた.ちなみにアパートはイタリア人とシェアするそうである.今回の旅で強く感じたことは英語圏の有り難さ.フランスやイタリアは国としては面白いが,話ができないので深いところまで入っていけない.ここでは訛のある英語を聞き取るのは大変だが(訛が無くとも大変だが),とにかく「話」が出来るので楽しい.看板1つ眺めても言葉がわからないとフラストレーションを感じる.彼のように若いときに英語圏に来て生の英語でサイエンスができることは素晴らしいことである.もう若くない身としてはうらやましい限りだ.しかしながら,ポスドクという不安定な身分にいて外国で仕事をすることは大きなプレッシャーであろう.彼がこの地で大きな経験をして無事日本に戻ってこられることを祈りたい.

 さて,エジンバラでの用事を済ませ,週末にスコットランドの北を廻ってセントアンドリュースに移動する(少々遠回りのように思うかも知れないが,気のせいである).街から一歩外へ出るとなだらかな丘陵地帯がどこまでも拡がっている.緯度が高いせいで山には木がほとんどなく,日本ではあまり見られない風景が続く.見渡す限りの広大な牧草地に点々としかいない牛や羊さん達.石造りの小さな建物が並ぶ寂れた町.何百年も前に建てられ朽ち果てた古い城.その前でキルトを身にスカートを履きバグパイプを鳴り響かせるおじさん.バグパイプの強烈な音は時を遡って遠い昔に誘うようだ.ゆったりと流れる小さな川と発酵したモルトの発する強烈な匂い.広大な敷地の中に今ではホテルとして使われている古い貴族の館.立派な角を生やした鹿の首に囲まれたビリヤード台.ほんのりと甘くバニラの香りのするポートワイン樽仕上げのシングルモルトウィスキー.以上,俊輔のスコットランドから進歩したイメージでした.

 突然ですが,スコットランドで発見された元素はご存じでしょうか.西の海岸沿いにある小さな町Strontianで見つかったストロンチウムだと,ポールが教えてくれた.最近気に入ってる鉱物の本「ROCK and GEM」にストロンチアナイトの写真がある.この本,とても写真が豊富で美しく説明も素晴らしいので,マニアではない普通の人にもお勧めです.日本人が見つけた幻の元素,ニッポニウム(後のレニウム)のことが思い出される.

 さて,食事の話を少々.一番美味しいと思ったのは,スペイ川で採れたスコッティッシュサーモンのスモーク.ノルウェー産よりさっぱりしていて,日本のより脂が多い.ラム,煮込まずに焼いてくれると美味しいのだが.ビーフ,日本のが一番.マスなどの魚,調理次第,レストラン次第.そして,ハギス.スコットランドと言えば,このハギスらしい.羊の内臓とオートミールを混ぜて,香辛料とともに羊の腸に詰めて煮込んだもの.当然,脂っこい.沢山食べるのは地獄だが,少々の味見ならいいか.島川氏は気に入っていたようだが.スコットランドの食事は全体的に思っていたほど悪くない.少なくともヨーロッパの西にある,ばかでかい国よりはずっとましな物が食べられた.めでたし,めでたし.

 2つめの目的地,セントアンドリュースは言わずと知れたゴルフの町である.海沿いのとても小さな町であり,その端からかの有名なオールドコースが始まる.もう一つの特徴が大学であり,町中に多くの大学の建物が混在している.アンディー・マッケンジー教授のいる物理教室のあるキャンパスはオールドコースと道を隔てており,窓からゴルファーが見えるほどである.もちろん彼はゴルフの達人らしい.天気が良ければゴルフコースを眺めながら気持ちのよい散歩も出来たであろうが,あいにくの雨で残念であった.アンディーは低温物理の実験家であるが,自ら試料作りにも凝っていて,物性実験における試料の重要性をちゃんと認識している数少ない人物であることが今回の訪問ではっきりとわかった.われわれは試料作り側の人間であるが,彼のような物理屋と話をすることは大変面白い.われわれのセミナーには多くの人が聞きに来てくれて興味を持ってくれたらしく,今後,共同研究に発展するのが楽しみである.というわけで,今回のスコットランド訪問,われわれは決してネッシーを見に行ったわけではなく,サイエンスの輪を拡げてきたのである.誤解の無きように.

マッケンジー教授と オールドコースの橋にたたずむ島川氏

今回の旅で思ったこと.エジンバラで1年暮らしたら,きっと英語が達者になる.スペイ川の近くに住んでいたら間違いなく釣り,特にフライフィッシングをしていただろう.セントアンドリュースに暮らしていたら,100%ゴルフをしていたに違いない.しかし,どちらも日本で始めるのは大変そうである.戻ってから図書館に赴きフライフィッシングの本を読みあさったが,実際に始めるには大きな壁を越えなければならないように感じてしまう.そろそろ老後の楽しみを探さなければと思いつつ,相変わらずの生活を続けている.では,また.Z