ヴェネツィア再訪

2010年6月26日〜7月10日

 あれから3年の月日が流れた.幸運にも拾った命で生き延びている.今,再び「ヴェネツィアからの生還」を読み返してみると,あの暑かった夏が昨日のことのように蘇ってくる.なんて感傷的になるのはやめて,今回の旅行記を書き始めます.今回の目的地はもちろんヴェネツィアではなく,ドイツのStuttgartとイタリアのTriesteです.3年前に辿り着けなかったトリエステに行くのです.1年前,あのときお世話になったベッカさんから,そろそろリベンジにトリエステに来てもいい頃ではとのメールが届いた.「Workshop on Emergence of New States of Matter in Magnetic Systems and Beyond」というワークショップをやるからということで,有り難くお誘いを受けて今回の旅となりました.ちょうど,その前の週にStuttgartで化学寄りの面白そうな会議があったので,合わせて長めの出張となる.

 今,成田発エアフランスの機中.空いていて快適.シャンパンを飲みながら,新しい旅行記を書き始めるにはもってこいの環境だ.ドイツの会議は6月27日の日曜の夕方から始まって,その週の金曜日まで,トリエステはその次の週の月曜から木曜まで.実は1年前にシュツットガルト会議の主催者に会議の後半に参加したいのだがと頼んだら了解と言ったきり音沙汰がないので,今年の4月になってイタリア行きのみの飛行機を押さえたところ,なんとプログラムに名前が載っているのを発見して驚いた.しかも火曜日に.慌てて,木曜か金曜にしてくれと頼んだら了解と言ったきりこれまた返事なし.しばらくしてHPでプログラムをチェックすると,なんと,会議初日の日曜のセッションに入っている.唖然としたが,このセッション,高温超伝導でノーベル賞を受賞したミュラー大先生の講演から始まるもので,これは聴かざるをえないと今日,26日土曜日の出発となったのでした.ところが物事は常に流動的であり,出発3日前になってミュラー先生の講演がキャンセルとなってしまった.とても残念である.かなりのお歳なので仕方ない(と思ったが後で聞くと何かの修理をしていて爪をはがしてしまったらしい).余った時間をやると言われ,25分の一般講演が招待講演並みの35分になりました.

 会議主催のいい加減さに関してはトリエステの方が一枚上手である.未だにプログラムが決まっていない.話す時間の長さも.さすがに困って,昨日,ベッカさんにメールを送ると,おまえは月曜だと言われた.日本からは鹿野田氏が参加するようだが,他はよく分からない.まあ,イタリアである.

 さて,昨日(25日)の早朝は日本がデンマークを粉砕し,見事に南アフリカWCの1次予選を突破した記念すべき日でありました.ドイツももちろん勝ち上がり,なんと,日曜の午後4時にイギリスとの試合がある.この時間はオープニングセッションが始まる時間なのです.ドイツ人とイギリス人は会場にいないかも.というか,会議はやめて,みんなで観戦すべきだとドイツ人の友人に言ったら,その通りだが難しいだろうとの返事.まあ,そうだろうね.参加者のイギリス人と主催者のドイツ人が壇上に上がって,試合を見ながらパネルディスカッションをしたら盛り上がるのに.これがフランスだと会議の最中にツールドフランスが放映されて盛り上がることになる(「日仏セミナー2004」参照).ちなみに,4年前のフランスWCの決勝戦は,ドレスデンで開かれた高温超伝導国際会議のwelcome partyと重なり,会場の大スクリーンでフランス−イタリア戦を眺めたなあ(「ドレスデンと東欧の旅」参照).日本の対パラグアイ戦は火曜の夕方です.京大の陰山氏とシュツットガルトで大スクリーンを探します.頑張れニッポン!イタリアが早々に負けてしまったのは残念だ.イタリアにいるときに試合があると面白かったのに.

 話がずれてしまった.なぜ,タイトルがヴェネツィア再訪か,と皆さん思われるかもしれない(思わないかもしれない).以下に言い訳を少々.シュツットガルトからトリエステに行くのは結構大変なのだ.最初,電車でプランを立てたが,新幹線は走っていないのでアルプスを越えるのに時間がかかり丸一日となる.やむを得ず飛行機となったが,トリエステの空港はマイナーで直行便はなく,おまけに街や会場となるICTP(国際理論物理センター)からとても遠い.よって,パリ経由でヴェネツィア空港に飛び,そこから2時間電車に乗るのが最善の策となる.ドイツの会議が終わって金曜に移動するが,トリエステの会議は翌週月曜からなので週末が暇である.もちろん,論文書きをやろうと思えば出来るが,一応,休日であり,頭を休める日である.というわけで週末は休暇としてヴェネツィアに立ち寄ることにした.週末を休暇にするというのも変な話だが,金曜にドイツから日本に飛んで帰って日曜にイタリアに舞い戻るよりは幾分現実的であろう.ちなみに,タイトルだが,何の脈略もなくF. Scott Fitzgeraldの短編小説「バビロン再訪」にちなんでこうなりました.

 この飛行機,空いていて(前の方だけだった)快適だと書いたが,機種が古くリクライニングが壊れていて動かない.困ったものだ.そういえば,9月からようやくエアフランスにもA380が就航する.この航空不況の際にどうして大型機なのか理解に苦しむが,利用者としては楽しみだ.少なくてもリクライニングは働くだろう.パリまであと6時間.今回の15日間の旅にはどんなことが起こるだろう.あまり激しくなく適度に刺激的な出来事が待っているよう祈ります(長い前書きだ.当然先もなかなか終わらない).

 パリで無事乗り換えて夕方,シュツットガルト空港に到着.タクシーで会議会場のマックスプランク研究所(MPI)近くのHotel Roemerhofへ.まともなレストランをもつローカルなホテルでなかなかよい.陰山氏は一足先に着いていてお隣さんだ.そのままベッドに潜り込む.

 日曜朝からトークの準備に励む.今回の話も相変わらず「ラットリング」であり,ジョークの目玉は今,南アフリカで蹴られているサッカーボールだ.最近,βパイロクロア酸化物におけるラットリング現象の本質はTd対称性にあると考え始めた.Td対称性をここで説明するのは大変だが,要するに海辺に転がっているテトラポッドの形である.テトラポッドの中心に立って眺めると(中身が詰まっているので難しいが想像力を働かせて),ある角の反対側には角がない.こういうのを反転対称性がないという.例えば,さいころの中心に入って眺めると,必ず反対側に同じ角がある(数字や点は無視してね).ご存じだろうか,今回のワールドカップで使われている不評の新ボール(日本には救いの女神だったが)は,反転対称性を持たず,まさにTd対称性を持っている.これに気がついて教えてくれたのは偉大なる神戸の理論家,播磨氏である.ちなみに前回のWCのボールは反転対称性を持ち,Thという別の対称性を持っていた(スクッテルダイトである).南アフリカのボールは反転対称性を失った初めてのサッカーボールであろう.ややこしい話が長くなって恐縮だが,こういう話はマニアには大事なのです.というわけで,最初にラットリングにはTd対称性が重要であることを強調した後,ボールの話で落としました.めでたし,めでたし.

会場の天井には巨大な残り時間表示が.スピーカーに大きなプレッシャーを.

 日曜4時の会議は,スクリーンにドイツ−イングランド戦の0−0のスコアが映し出されてから始まり,キャンセルされたミュラー先生の代わりに鉄砒素超伝導で有名なJohrendt先生のトークに続いた.ぼくの出番は3番目で,試合はほとんど終わる頃.話を始めようとするとスクリーンに意外な4−1のスコア(もちろんドイツが4)が映し出され,場内にどよめきが起こった.お陰で皆さん,ぼくの話に集中してくれた?と思う.ありがたや.その晩のウエルカムパーティーはイギリスの幻のゴールの話で盛り上がった.場所はMPIのカフェテリアだが,主催者のJoergen Koehler,Mike Whangbo両先生がしっかり寄付を集められたそうで結構豪華でした.大勢いたのに気がつくとぼくと陰山氏のテーブルにKoehler先生など数人が残っているだけで,すっかりトークの終わったZは楽しくワインを頂きました.

28日月曜

 シュツットガルトのMPIに来るのはこれで3回目である.2年前には吉田紘行君が3ヶ月間,ここのJansen教授の研究室に滞在し,新しい物質について研究を開始した.今,彼はつくばの研究所でポスドクとしてその研究を発展させている.ここは化学と物理が融合した大きな研究所であり,世界的にも重要なサイトとなっている.

 月曜の会議は朝9時から始まる.コーヒーブレーク後のセッションの開始にはドイツ国旗色のブブゼラの轟音が鳴り響く.化学分野の話が中心なので,逆格子(分からなくていいです)なんてあまり出てこないし,日頃の物理物理した会議に比べて居心地がいい.反面,余りに文化が違いすぎて,ついていけない話もある.最後に陰山氏が講演し興味深く拝聴しました.彼はなんと1年前にこの会議に参加すべく,ここシュツットガルトを訪れている.つまり1年以上前に招待状をもらって,その年2009年の会議と勘違いし,出発の1週間前に気がついたがそのまま表敬訪問したそうである.実に面白い.そう,陰山氏は知る人ぞ知る,とてもユニークな人物である.彼のお陰で今回のシュツットガルト会議はぼくにとってとても有意義なものとなった.彼は物理でもよく知られているが化学分野にも顔が広く,沢山のお友達を持っていて紹介してもらうことができた.双子のいるルーマニアの女性とか.面白そうな人がいるとすぐに話にいってお友達になる才能には頭が下がる.ぼくのような人見知りにはとてもできない芸当だ.見習わなければ.

 陰山氏他大勢で町中のショッピングセンター内のレストランへ行く.そこには屋外の大スクリーンがあり,ブラジル戦が放映されていた.日本戦はいよいよ明日午後である.今回,意外だったのはまともな料理が出てくること.ドイツの飯はまずいというのは過去のことか.ホテルのレストランも極めてまともである.ありがたい.

Vaihingenのショッピングセンターにて.

29日火曜

 今日はどうせ午後の会議には出られないので朝から陰山氏と散歩に出かける.いい加減にシュツットガルト市内に出て電車を乗り換え,ルートヴィヒスブルグ城へ.カフェでビールを飲んで,街中に戻り,スポーツ店で買い物.例のボールを見て,あまりの美しさに思わず買ってしまった.陰山氏は巨大な日の丸を買う.なんで,ここに日の丸を売っているのか.他の国の国旗はわずかしかないのに.さあ,これで日本戦の準備は整った.昨晩のショッピングセンターに戻り,大スクリーンの前に陣取る.隣にはたぶんシュツットガルト在住の日本人の奥さんと子供達が20人ぐらい集まっている.もちろん,周りはがらがら.われわれを遠く取り囲むように何人かのドイツ人が座っている.試合については書かない.本当に肩が凝ったが,まあ面白かった.騒いでいる日本人を面白そうに眺めているドイツ人も印象的であった.ホテルのレストランで日本人二人に半分日本人のLemmensさんと三人で残念ビールを傾けた.でも,日本はよくやったね.ちなみに今晩の私のメニューは,ハンガリーのスープ,グラーシュとハーブサラダに山羊のチーズ焼き.悪くない.

PKはいつも難しい.

30日水曜

 朝からまじめに会議.ドロコンとロスナーの対決が面白かった.二人で同じ物質について全く違う結論を主張し,まさに対決した.ランチはカフェテリアにて巨大な白アスパラガスを食す.まあ許せる.最近まとめている論文について共著者となっているMike Whangboと話をする.やはり,直接会って説明を聞くと話が通じてわかり合える.会議のポスターはずっと行われている.ということは,ずっと行われていないに等しい.話をするには本人を捜し出さねばならない.

 会議終了後,バンケットが行われるがその前にNesper教授によるディナートークが行われる.非常に見識のある話のようであったが,英語が難しくてあまり理解できず悲しい.たぶん,人間の知覚と脳の認識の話.新しい発想を得るには全く違う分野の人と話をしたり,普段と違う体験をすることが重要であると.emotional luxuryがキーワードだった.バンケットもエジンバラのAttfieldさんと盛り上がり,もっと盛り上がっている陰山グループを横目に失礼するが,帰り道に迷い,辛うじてホテルのたどり着く.

7月1日木曜

 今日で会議も終わり,明日イタリアへ移動する.そういえば昨日,トリエステのプログラム,しかもpreliminary programなるものが送られてきた.あと数日で始まるのに何とものどかな話である.ぼくの出番はやはり月曜の2番目で1時間も話さなければならない.恐ろしいことに最初の2つと最後の鹿野田氏の話以外はすべて理論だ.こちらの会議はそれなりに聴いていて理解できる話も多いがトリエステはしんどそうです.今日のプログラムではアットフィールドさんの話が面白そうで楽しみである.陰山氏が座長です.それまで,適当に聞きながら頭をカゴメに切り換えてトリエステの準備に入ろう.

 アットフィールドさんの話は面白くて盛り上がった.初めて質問をしてみたが,やはり,会議は茶々を入れないと参加している実感がない.その後のドレスデンのKniep先生の話もなかなか勉強になった.会議後にみんなでバスに乗ってメルセデス・ベンツ博物館へ.凝った建物の中に長い歴史順に沢山の車が展示してあり,なかなか見応えがある.最初の展示が馬だったのは驚き(つまり,1馬力).ここまでお金をかけた博物館はトヨタにはないだろうね.夜は主催者の2人,イギリス人2人,次回のボルドーの主催者に陰山氏となぜかスペイン料理へ.かなり強烈なフラメンコをやっていたが,盛り上がっているのは内輪だけで,多くのドイツ人は外のテーブルにておしゃべりに夢中.インターナショナルな最後の晩餐でした.

2日金曜

 ドイツは終わりイタリアへと旅は続く.パリまで1.5時間.さらに1.5時間でヴェネツィアに着く予定.心配なのはパリでの乗り継ぎ時間が1時間しかないこと.人は間にあっても荷物が行方不明になる可能性はかなり高い(実際に一度あった).

 ヴェネツィアに無事到着.パリ発の便は遅れに遅れて,お陰様で荷物は問題なく手元にある.サンマルコ空港からバスに乗り,海の中の道を通ってヴェネツィアの街が現れた時には少々涙もろくなる.レイバンをかけて怪しい帽子をかぶり,ヴァポレットに乗り込んでアカデミアまで大運河を進む.前回は向きを間違えて反対周りをしたので,大運河を通るのは今回が初めてとなる.ちょっと暑い.というか,かなり暑い.アカデミアで降り,今回のホテルであるPensione Accademiaへ.2泊で150ユーロとヴェネツィアとしてはかなり安いのだが,驚くほど広くて立派なホテルである.部屋はシングルで狭いのだが,天井が高くてクーラーががんがんに効いていてとても快適.今日は移動日なので,移動が終われば,ヴェネツィアの休日である.早速シャワーを浴びてリフレッシュし,さあ,ヴェネツィア歩きに出発しましょう.

 アカデミア橋を渡り,観光客の一人と化してサンマルコ広場へ入る.猛スピードで体当たりしてくる鳩をよけながらドーカレ宮殿の前のカフェのいすの隣の階段に座る.3年前に座った椅子のあたりを眺めながら,酸っぱいレモンジェラートを食べたことを思い出し,ひとしきり感慨に耽る.沢山の観光客とほとんど誰も座らない椅子は3年前と変わらない.

サンマルコ広場の思い出の椅子.

 海辺に出て少し歩き,あのとき泊まったホテルの前に立ち,ふらふらになってバナナを1本買ってきたことを思い出す.狭い路地を曲がって島の内部へ進むと,いかにもヴェネツィアという小径と運河に橋が次々と現れる.前回はとても楽しむ余裕などなかった光景に思わずシャッターを押す.地図を見ながら10分ほど歩くと急に視界が開け,巨大な教会前の広場に出る.サンティッシモ・ジョバンニ・エ・パオロ教会である.広場の中心に立ち,教会の左側にそびえたつスクオーラ・ディ・サン・マルコのファサードを前にして時間が止まる.車いすに乗せられて見上げた記憶が鮮やかに蘇ってくる.しばらく身動きできず,向かいのカフェの椅子に座り込みビールを飲んで気持ちを鎮める.30分ほどぼおっとしてから決心して病院の中に入ろうとするが,正面の入り口は観光客用にお金を取るように変わっていた.横の運河沿いの出口から出たことを思い出し,そちらに廻ってみるとすんなり中に入れてくれる(誰もいない).退院間近にゆっくりと歩いた長い回廊を抜け,病棟を探して奥に進むと見覚えのある古い建物が現れる.降りようとして降りられなかった階段を上り,中庭を囲む2階のベランダに出る.3階の病室の窓が見え,ネレオと散歩したベランダに何人かの病人が座っているのが見える.あの3階の病室に行ってみようかと迷うが,もちろん病人がいるだろうし,看護婦もいるので思い直してやめる.正直言ってこれ以上近づくのが怖かったのも理由である.3年前の病室の様子がまざまざと思い出される.午後の静けさの中でかすかに聞こえてきたイタリア語のおしゃべりや日曜の朝に鳴り響いた鐘の音も.半年後に亡くなったネレオの笑顔とおごってくれたエスプレッソの味を思い出す.ぼくはまだ生きていて3年後に舞い戻ることが出来た.感謝.病院を出てジョバンニ・エ・パウロ教会に入る.あの時は車椅子で入り口までしか入れなかった.ヴェネツィアで1,2を争う大きな教会であり,巨大な壁画と高い天井が天上の世界へと誘う.病院で亡くなった人はすぐ隣のこの教会で天国に行ける.便利だ.ただし,教会に埋葬されるのは昔の偉い人だけで,他は広場から船に乗ってすぐ沖合にあるサン・ミケーレ島というお墓の島に葬られる.恐らくネレオもそこにいるはずだ.ネレオの墓参りをしたくて家族に連絡を取ろうとしたがかなわず残念である.祭壇の前に立ち,静かに流れる賛美歌を聴きながら,あの時この教会の中をしばらく彷徨っていたのかと思うと自然に涙が流れる.確かに教会はあの世に旅立つにはよい場所である.

病院と教会.

 陣内秀信さんのルートに従って細い路地を抜け古い建築を眺めながら歩き,初めてリアルト橋にたたずみ大運河を行き交う船やゴンドラを眺める.夜は早めにネットで見つけたお勧めレストランTrattoria Ai Promessi Sposiへ.ほんとうに見つけにくい路地裏にあり,ようやく探し当てたが6時過ぎなのにやってない.困った.表通りの如何にも観光客相手のレストランには入りたくないのでむやみに歩きまわるが,これはと思うのが見つからない.近くの路地で座っているおじさんに覚えたてのイタリア語でこの辺に美味しいレストランはないかと聞いてみるが,心当たりはないようだ(ちゃんと通じてるぞ).仕方なく舞い戻ると営業を始めたようだが,まだ誰も客がいなくて恐る恐る顔を突っ込むと,つるつると二枚目が笑顔で迎えてくれました.カウンターの横の小さなテーブルに座ると,つるつるが日本語混じりでメニューを教えてくれる.前菜盛り合わせと海の幸のフリットにもちろん白ワインを.しばらくすると常連が集まり始め,カウンターで一杯飲みながら盛り上がる.みんな楽しそうに話をしているが一杯やったら30分ほどで退散.面白いので観察していると,同じ顔がしばらくしてまた現れたり,別の奴を連れてまたまた現れたりする.みんな日の長い夏の宵を楽しんでいる.前菜はまあまあで特に鰯が美味しかった.次にフリットを持ってきたかと思ったら,なんとボンゴレスパゲティーが目の前にどかんと出てくる.一瞬困った顔をすると,奥にいた2枚目が間違ったと言ってきて,すぐに作り直すから待てとおっしゃる.しかし,そのボンゴレがとても美味しそうで絶句.フリットも揚げたてで美味しかったが,なにせ油が多くて私には失敗でした.半分残してごめんなさい.でも,まあ,美味しく食事ができたのでめでたし.しめて35ユーロなり.酔っぱらって路地を歩きヴァポレットに乗って無事,帰ホテル.

3日土曜

 このペンション,なかなかすばらしい.前にも奥にも広々とした庭があり,前庭では運河を眺めながら朝食が楽しめる.直接,ボートタクシーに乗り込める自前の船着き場を持っていて,高級ホテル並みである.奥の庭では花が咲き乱れ,のんびりとくつろぐための長椅子やベンチが置かれている.内装にも凝っていて豪華な雰囲気を醸し出す.客にはアメリカ人が多いようだ.早朝6時にホテルを出て,アカデミアの船着き場からヴァポレットに乗る.風はまだ涼しくて気持ちがよい.がらがらのヴァポレットの最前席に腰掛け,リド島まで行ってそのまま戻る小1時間の船旅は実に爽快だった.

 優雅な朝食を済ませて,昨日の続きのルートを歩き出す.コンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段の美しさに感動し,リアルト橋を渡って魚市場を冷やかし,狭い路地を歩きまわる.やがてヴェネツィアの路地は3つに分けられることが見えてくる.観光客だらけの道,地元の人しか歩いていない道,そして,誰もいない道である.観光客が歩いている道は極めて限られているようだ.陣内さんのルートは裏道ばかりでややこしいが,とても面白い風景が次から次へと現れる.有名な建物には全く入らなかったが,唯一,サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会に入り,海の国1000年の重みを感じる.ランチはサン・トーマ広場,靴職人のスクオラの前にあるTrattoria San Tomaに.早すぎて誰もいなかったが,ビールを飲みながらゆっくりオーダーする.今回はブルスケッタに海の幸のスパゲッティーを.ブルスケッタはパンの香ばしさと山盛りのトマトがマッチして文句なし.スパゲッティーはあと30秒早くあげていたら言うことなしだがエビの甘さに免じてまあ許そう(文句が多くて済みません).またまた酔っぱらってホテルに戻り,シャワーを浴びて生き返り,ドイツの圧勝を見ながら夕方まで暑さをやり過ごす.回り損ねたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会界隈を回り,ヴァポレットに乗るがどうも疲れが出て食欲が出ず,楽しみにしていた魚の網焼きをパスしてホテルの部屋で柿のタネとビールにてバタンキューと相成りました.夜の街を歩くにはもっと体力が必要だ.

コンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段とブルスケッタと橋

4日日曜

 今日も早朝からヴァポレットに乗って島を一周する.途中,ムラーノ島に立ち寄り,サンティ・マリア・エ・ドナート教会の写真を撮る.この教会がこれまで見た中で一番美しい姿をしている.ホテルに戻り遅い朝食を済ませて観光モードは終わりました.今,トリエステへの列車の中でこの文章を書いている.駅で切符を買うのに30分も並んで,ピザを落とさないように注意しながら列車に乗り込んだ.約2時間の旅である.明日から始まる会議では,2番目に1時間話をすることになっている(ようなので),この文章を書くよりは準備をしなければと思いつつ.さあ,前回辿り着けなかったトリエステはいかなるところだろう.

ムラーノ島のサンティ・マリア・エ・ドナート教会

 トリエステ駅に着き,タクシーを見つけられず,仕方なくバス乗り場へ行き36番のバスを待つがなかなか来ない.前に立っていたおじさんと目が合い,ICTPに行くのかと聞かれる.もちろん,こんなところに立っている日本人はそうとすぐに分かるのだろう.彼はICTPの博物館の人で,36番ではなく6番に乗ることを教えてくれる.理由はよく分からなかったが,まあ気にせず一緒に連れて行ってもらった.日曜なのに(なので)超満員のバスで大汗をかきながら,途中の狭い海岸で泳ぐ人々を眺めて30分ほどで終点のGringanoに到着.そこに今回泊まるAdriatico Guest Houseがあった.下調べしてきた場所とは異なり岬の反対側であった.おじさんに感謝.ここは小さな湾になっていてヨットハーバーとこぢんまりとした海水浴場がある.Adriatico Guest Houseは海に面する高層の一見リゾートホテルだが,まあゲストハウスである.おまけにぼくの部屋は山側.ほとんどの部屋にバルコニーが付いているというのに,なぜかうちにはない.こうなったのには理由がある.3ヶ月ぐらい前に宿泊予約の紙を送ったはずなのに返事が来ないので2週間前に確認したら,届いていないと言われた.直前の予約となってしまったので仕方ないのです.

Gringanoのヨットハーバー.右手奥にAdriatico Guest Houseがそびえ立つ.

 暑さのために着るものが少なくなってきたので洗濯しましょう.夜は近くのレストランで,antipast mistoとヴェネツィアで食べ損ねたボンゴレスパゲッティーを食す.どうしてそんなにオリーブオイルを使うのと聞きたくなるくらいのオリーブオイル漬けスパゲッティーが出てきて唖然とする.おかげで夜中に気持ちが悪くなりよく眠れなかった.明日,朝一でトークだというのに.

5日月曜

 朝,眠い目をこすりながら簡単な朝食を済ませ,Mendelsさんと一緒に会場のガリレオホールへと向かうが途中で迷う.ついてこいと言いながら頼りない人である.会場のホールは250人収容の立派なものだが,なぜか虫が飛びまわっていてスクリーンに時々登場なさる.スクリーンの下には長い黒板があり,何やら難しい式を書き始める人も多い.ぼくの50+10分のトークも余裕を持って話が出来たのはよかったが,質問にちゃんと答えられず悲しい.カメラで自分の話を全部録画できたので後で見て反省します.プログラムは極めて優雅で,午前中に5つのトーク,午後は3時から2つしかない.その他の時間はじっくり議論しましょうということでしょう.しかし,睡眠不足と1時間講演のおかげでエネルギーを使い果たし,昼食後にホテルに戻ってシエスタとなる.夜はウエルカムパーティーがあり,ブダペストのPencさんと彼のグループの若い人たちと盛り上がった.中にPDの女の子がいてマンガと村上春樹のために日本語を少し話す.ハンガリー語に翻訳されたカフカが好きだそうです.読み返そうと思って持ってきた短編集をプレゼントしました.夜,今回初めての雨が降り出し,一気に気温が下がって涼しくなった.そういえば,東京は梅雨の最中,大雨に見舞われているようで,ご愁傷様.

6日火曜

 午前中のプログラムを見てあまりに理論寄りの話にぞっとし,朝から市内へ抜け出す.トリエステはイタリアの端っこにあり,オーストリアの影響を強く受けてきた町である.ローマ劇場の遺跡を眺めながら丘に登り城壁から見下ろす町はなかなか美しい.再び降り始めた小雨にめげずランチ場所を探して街中を徘徊するが,お目当てのレストランTrattoria Ai Fioriは12時半のオープンで午後のプログラムに間に合わなくなる.仕方なく,路地裏で怖そうなおやじの立っているRistorante Pizzeria Crystallなる店に入る.魚の定食が20ユーロ.海の幸のペンネとサラダとワインが付いているのは理解し,ついでに渇いたのどを潤すためにビールを一杯頼むが,おやじはワインの代わりにビールだと思ったらしく,そんなようなことをおっしゃる(たぶん).どっちもだと片言イタリア語で言うがなかなか通じない.ようやく理解してくれたみたいで,親指を一本突き上げてうれしそうな顔をして奥に消え,すぐにビールのグラスと250ccの白ワイン(ランチには少々多いな)を持ってきてくれた.巨大なさなか型の皿にのって運ばれてきたペンネはなかなか美味しい.次にやってきたルッコラのサラダは何も味付けしてないのに(ので)ものすごく美味しい.満足してほとんどワインを飲んでしまって安心していると,同じ大きさのサカナ皿に山盛りのイカリングフライが現れる.おっと,そうか,定食とはそういうものか.こっちも美味しいのだが,さすがに半分しか食べられず.いい気分でホテルに戻り,3時からのBaskaran大先生の講演を聴きに行く.案の定,ほとんど理解できなかったが,その後のトークは最初の一瞬から完全に頭が吹っ飛んだ.違う惑星に迷い込んだのだろう.

トリエステの街並み.左奥の半島の先っぽにICTPがある.

 相変わらず食べる話ばかりで恐縮だが,夜は主催者のBecca夫妻にBristolのNic Shannonと彼女,その他3人で近くのレストランに行き,あまり美味しいとは言えないニョッキを食べる.ワールドカップ中継で盛り上がる別のレストランでジェラートを食べました.イタリアはもう負けてしまったので盛り上がりは大したことない.イタリアではテレビ中継が有料の衛星放送なのでほとんどの家では見られないそうである.ふーむ.

7日水曜

 東大の鹿野田氏が昨晩遅く到着し一緒に会議に出る.彼は金曜日の午後,一番最後の講演でご苦労様です.今日は割と実験よりの理論が多かったのでそれなりに理解できて勉強になりました.夜は鹿野田氏と街に出て一昨日昼飯を食べたレストランに行き,二人で大いに語らい酔っぱらいました.やはり,日本語は楽だ.しかし,ここまで着て科研費や人事の話をしているのも変なものだ.さて,帰りにバスが現れない.最終は12時だと聞いていたのだが.ICTP関係者だと思われる老夫婦はもう45分もバス停で待っているとおっしゃる.仕方なく,駅まで歩き,タクシーを探すが,相変わらず,どこにもいない.もちろん流しのタクシーなんて皆無である.イタリア人はタクシーに乗らないのだろうか.駅の周辺を廻って路肩に座ってくつろいでいるタクシー運転手をようやく見つけ,何とかホテルに帰り着いたのでありました.あの老夫婦はどうしたのだろう?

トリエステの夜は更けて

8日木曜

 昨日,会場で恐ろしいアナウンスに気付いた.今日の夜から丸1日,バスと電車がストライキをするらしい.明日の飛行機は9時50分発なので,朝一の電車でトリエステを出発すれば辛うじて間に合う予定だったが,安全のため前日にヴェネツィア入りすることにして大正解でした.出発日のトラブルは致命的だ.それにしてもストがもし1日早かったらアウトだったね.くわばら,くわばら.今,ヴェネツィアへ戻るユーロスターの中で書いています.飛行機のストはありませんように,と祈りながら.

9日金曜

 マルコポーロ空港にて.昨日は無事ヴェネツィアの入り口メストレという町のホテルに着き,午後ヴェネツィアまで足を伸ばした.夕食をLa Zuccaというカボチャ屋さんでトマトたっぷりのガスパチョとカボチャのフランを食べたが,どちらもすばらしく美味しかった.今回の食事の中では一番の当たり.隣にいた騒がしいアメリカ人団体は,今まで食べた中で最も美味しいラザーニャだと騒いでいたが,たぶんその通りなのだろう.この店には素敵な日本人女性が働いていて,英語,イタリア語,日本語を駆使して料理を説明してくれます.たぶん日本人だろうと思って,ごちそうさまと言ったら,日本語で答えてくれました.機会があったら是非どうぞ(金,口説きに行くんじゃないぞ).8時になっても明るい運河沿いを歩きながら,ゆったりとした時間の流れを過ごす.運河沿いのホテルのテラスレストランでは何やらパーティーが行われていて盛り上がっている.ゴンドラやヴァポレットが行き来し水面がきらめく.運河沿いの行き止まりの広場に1人座ってぼおっといろいろなことを思い出しました.書かないが.

夕闇の迫るヴェネツィアの大運河

 9時過ぎになってようやく暗くなり始めたヴェネツィアを後にし,さあ帰るぞと電車の駅に行く.帰りの切符はすでに購入済みで問題なし.駅前で若いカップルにヴァポレットの切符はどの種類を買ったらいいのかと聞かれる.ちなみに,ヴェネツィアを歩いていて3回も道を聞かれた.変な東洋人が分かっていると思うのか不思議だ.さて,これからが大問題となる.駅の様子がおかしい.どの電車が最初に出るかと(どれもメストレを通る)掲示板を見ると,怪しい点滅と遅れの文字がある.どの路線にも電車と人がいるのだが,なんだかおかしい.そこで,はたと気がついた.そうだ,ストライキだ.トリエステでは確か今晩9時から電車とバスが動かないと言っていた.ヴェネツィアに来たのですっかり忘れていたが,たかだか電車で2時間の場所で同じストがないわけがない.駅のカウンターはほとんど閉まっていて,空いているところには長い列ができている.やばいと思いながら,歩きまわるが駅員も見つからない.彷徨いていると大勢がある電車に向かい始めたので,急いで後を追って電車に乗り込むと満員状態であった.さあこれで帰れると安心しているとみんなが降り始め,結局電車はだめ.メストレまでは電車で1駅だが海を渡ってかなりの距離があるので,残された道はバスかタクシーしかない.バスもストだと聞いていたので,みんながタクシーを探すとなるととんでもないことになる.駅で夜明かしなんてあり得ない.もっととんでもないのは明日の朝の飛行機に乗れないことだ.ストは明日の夜までのはず.なんでもっと早く気がつかなかったのかと悔やみながら,大汗をかいてバス乗り場へ向かうが,切符売り場は案の定,長蛇の列で,到着するバスはあるが出発するバスはほとんどいないように見える.タクシーなんてどこにも見あたらない.どこがバス乗り場かもよくわからず,途方に暮れていると目の前にバスが止まったので運転手に聞くとあれに乗れと教えてくれる.確かにメストレ経由でどこかに行くと表示があり慌てて乗り込む.もちろん切符もなしに.そうこうしているうちにバスは同じような人たちで超満員となり,数分後に発車した.まあ,どさくさなので切符の検札なんて来るわけもなく,大勢が切符無しで乗っていたようだ.騒がしいイタリア語と英語や訳の分からない言葉が飛び交ってうるさい.20分ほど走って無事メストレの駅前に着いたときにはどっと疲れました.油断大敵あめあられ.

 3年前にこのマルコポーロ空港に来たときには車椅子の上で,8月の暑い夏も終わりかけて本降りの雨だった.今日は快晴.これから夏本番である.あのときはほとんど歩けなかったのだが,リハビリをかねてゆっくり出発ロビーを歩いたことを思い出す.日本から迎えに来てくれた医者と看護師さんに付き添われ,ようやく病気のことを教えてもらい,日本に帰れるうれしさとトラブルがもたらした混乱の中で不思議な感覚の中にいた.今回のヴェネツィア訪問で様々な思いが鮮やかに蘇ってきた.

 飛行機は予定通りマルコポーロ空港を出発した.今回のほぼ2週間となる長い旅も終わりに近付きつつある.シュツットガルトのサッカーから始まり,ヴェネツィアのストで終わったわけだが,サイエンティフィックにも個人的にも大変有意義な旅であった.久しぶりに出席した化学寄りの会議も面白かったし,多くの知り合いができたことも収穫である.次の2年後のボルドーでの会議にも是非参加したいと思う.トリエステの会議は物理のしかも超理論寄りで大変だったが,とにかくトリエステに行けたことに大きな意味がある.個人的にはもちろんヴェネツィアでの休暇が最大のイベントであったが,前回の足跡をたどって心残りを解消し,いろいろな思いを精算できたと思う.つい気合いが入り過ぎて長くなったが(前回のヴェネツィア以来の長さ),最後まで読んでくれた暇な方には心から感謝したい.

 土曜の朝には成田に着く.週末はゆっくり休んで月曜は山のような予定があり,火曜には未知の地ベトナム,ハノイへ発つことになる.ハノイは近いし4泊5日の短い旅だが,真夏の蒸し暑いハノイではどうなることやら.じゃ,また.

2010年7月9日 ZH

おまけ.今回帰りの便のみアップグレードできてビジネスクラスにしたが,なんと,搭乗時にファーストになってしまった.1E席.最前列に4席しかない.搭乗が最前部からのみなのでみんなにじろじろ見られて落ち着かない.昔,若い頃,誰がこんな席に坐るのだろうと思ったが,大金持ちでなくても運がよければ,ですね.足が前に届かない(短いせいもあるが).驚くことにパジャマをくれた.寝るときには笑顔の素敵なマドモアゼルが布団までひいてくれる.さっき,機長が長ーい挨拶に来た.帰りにしっかり仕事をしようと思っていたのに,フルフラットにしたらできないね.まともなシャンパンも出てくるし.困った.ははは.ちなみにここでの食事ははっきりいってこの旅行で食べたどの食事よりも豪華でした.こんなのに慣れると次にエコノミーに乗るのがつらい.明明後日だが.