チューリッヒとバトログ教授

 2006年の旅の始まりはスイス,チューリッヒとなった.1月19-26日の一週間,チューリッヒ工科大学のバトログ教授を訪問した.あのバトログ教授である.詳しい話は後程.訪問のきっかけは2004年秋バルセロナであった小さな会議に参加して彼と知り合いになったことにある.その後,われわれが見つけた超伝導体に興味を持ったようで,彼のグループも活発に研究を展開し,今ではわれわれの競争相手である.特に最近になって新しい論文を次々と出してきて,というわけで意見交換というか敵情視察となった.

 19日木曜の夕方,長引く所員会を抜けだし,夜10時成田発のエールフランス便に乗り込む.パリに着くのは20日朝5時前.3時間待って乗り換え便にてチューリッヒに着いたのは9時だった.今回は強行軍であり,その日の夕方にセミナーをすることになっていたため,飛行機の中でひたすら話の準備をする羽目となった.おまけに学生さんの修論を抱えて,帰るまでに読み通さなければ間に合いそうにない.という状況で疲れ果ててチューリッヒの空港に着くと,かのバトログ教授が直々に出迎えに来てくれた.彼は大変気を使ってくれて,そのまま彼のリッチなアパートに行き,シャワーを浴びて1時間ばかり睡眠をとることが出来た.それでもセミナーを終わる頃には完全にエネルギー切れとなり,いささか歯切れの悪い応答を繰り返してしまった.日本を発ってから32時間後にホテルのベットに,ばたんきゅーとあいなりました.

 さて,ここチューリッヒ工科大学ETHは,スイスで最も権威ある大学である(多分).市内から車で15分ほど丘を登ったところにあり,モダンなキャンパスが広がっている.感心させられるのは大駐車場が建物の地下にあること.キャンパス内には車どころか自転車すら見あたらず,実に広々として気持ちがいい.どこかの自転車でごった返しているキャンパスとは大違いだ.ここに来るのは今回を含めて3度目となる.以前にここで知り合った人のうち何人かはすでにリタイアし大学を去っていた.理論家として有名なRice教授も半分リタイアし,Sigrist教授が後を継ぎ,膨大な雑用に頭を抱えていた.Batlogg教授は固体物理実験部門のリーダーとして数年前にベル研から移ったのである.

ETHのカフェテリア.食事後のトレイは流石にスイス,スキーリフトで運ばれていく
バトログ教授と筆者.ETHにて

 週末はバトログさんと奥様と一緒に彼らの故郷のオーストリアの小さな町Bludenzに連れていってもらい,楽しく過ごした.そこはオーストリアアルプスの麓にあり,雪を被った山々に囲まれた別天地であった.ただ,天気が今一だったのが残念.翌週,再びETHに戻り,前出の3教授を含め,グループ内の若い人たちと突っ込んだ議論をすることができ,大いに得るものがあった.研究には競争という一面もあるが,みんなでやるともっと楽しいという面もあって,今回はお互いに有益であったと思う.研究が熾烈な競争になるか,一緒に楽しめるかはお互いの人間性と個人的な付き合い具合によることを実感する.最後の日,24日の夜は3教授とともにチューリッヒの街を見下ろす洒落たレストランで夕食を楽しみ,さらに友好を深める.

 この文章を書いているのは例によって帰りの飛行機の中です.ビジネスクラスより1列後ろの席に座ってキーボードをたたいている.どうでもいいことだが,飛行機が離陸するとすぐ,ビジネスとエコノミーの間にはカーテンが引かれるので向こうで何を食べているかは見えない.たまにはビジネスクラスを使ってみたいものだが,その価格差(今回の飛行機代は10万円でビジネスなら45万円であった)はいかんともしがたく感じる.いつも思うのだが,中間の料金で程良く快適に飛行機の旅ができないものですかね.

 さて,実は今回の旅については最初からこのような文章を書くつもりはなかった.にもかかわらず書き始めたのにはもちろん理由がある.バトログさんについて少し書きたくなったのである.彼は数年前にベル研で大スキャンダル事件を起こしたグループのボスであった.ある若い研究者のデータをもとに次から次へと驚くべき研究成果を報告したが,それらがすべて捏造であることが判明し,前代未聞の大騒動となったのである.その顛末に関しては,すでにNHKが特番を流し,さらに近々詳細な経緯を追った本が出版されるそうである.彼らの研究報告はあまりに見事で可能性を感じさせるものであったため,その後世界中の多くの研究者がその流れに参画し,貴重な時間と多くのお金が費やされた.バトログ教授がそれまでの優れた研究成果のゆえに非常に高い評価を得ていた人物であったことが,これほど大きな問題となった背景の一つであることは事実である.結局,公式には実際に捏造を行ったのは若い研究者のみであり,その他の共同研究者の責任は問えないと言うことになった.しかし,その若者に社会的な責任のとりようもなく,バトログ教授に世間の非難が集まった.

 彼は私より10歳ほど年上である.今回,5日間彼と時間を共にしたが,正直言って実にいい人である.すべての食事を共にし,アパートに泊めてもらい,夜は2人でワインやビールを飲みながら,実にいろいろな話をすることができた.彼は前述のようにオーストリア生まれで,ETHで学生をした後アメリカに渡ったのであるが,とても聞き取りやすい英語を話してくれる.ジョークが好きで,ウイットに富んでいて,実にいろいろなことを知っている.家族のことから各国での生活のこと,人生について,これほど日本人以外の人と突っ込んだ話をしたのは初めてであり,良き友人にめぐり会えた思いである.

 しかし,例の件に関しては聞いてよいものか判断できず全く触れないでいた.彼の方からも何も言い出さなかった.だが,最後の日にSigristさん(彼は私と同じ歳で,以前からの親しい友人である)が,2人だけの時にその話を持ち出してきた.彼には以前に例のNHKの番組を録画して送ってあげたが,その内容に関してfairではないと怒っていた.バトログさんの現在置かれている状況は極めて厳しいようである.ヨーロッパの旧友とはある程度関係を取り戻したようだが,他の分野の人たちからかなり攻撃されているらしい.その晩,夜中にアパートに戻って2人で最後の時間を過ごしたとき,思い切って話を切りだしてみた.彼は以前から日本に沢山の友人がいて深い親交を保っていたが,今回のことで関係が途絶えてしまったことをとても悲しんでいた.寂しそうにぽつりぽつりと話す姿に心が痛んだ.日本には依然として彼に対して厳しい意見を持っている方も多いようである.一つには彼がちゃんと謝罪をしていないことがあるのだろう.ただ,そのための機会を得ることはそれほど容易ではなかっただろうと思われる.

 ベル研事件の経緯に関して私自身は多くを知らない.でも,考えてみるに自分のもとでともに研究をしている人物がもし悪意を持ってデータを出してくれば,これを見破ることは難しいと思う.少なくとも私には出来そうにない.最近,類似の事件がいくつか報告されているが,このような落とし穴を避けることは恐らく容易ではないだろう.仮に穴に落ちてしまったとして,その事実と真実は簡単にはクリアーになるはずがなく,ボスとして部下をかばう発言をするのも当然かもしれない.結局,複雑な事態に巻き込まれて右往左往する事になるだろう.しかしながら,バトログさんの最大の過ちは身近な友人から一連の結果の信憑性を疑われたときに,ちゃんと自らの手で捏造の事実を突き止め,世間に公表して謝罪することができなかったことにある.この事件はわれわれに多くの教訓を残してくれた.今後とも一人の研究者として真摯に科学に取り組み,責任あるアウトプットを出していきたいと思う.

 今回,バトログさんと多くの話をすることが出来て本当によかった.彼が今でも優れた科学者であり,素晴らしい人物であることを確信した.彼が過去の過ちを素直に謝罪して,一日でも早くこの世界に復帰できることを願う.また,何とか彼が日本の古い友人たちとの関係を取り戻すことは出来ないだろうか.微力ながら,彼の力になりたいと思う.

 今回はいささか話が重くなった.次回は3月にスペインのマヨルカ島に行く予定である.よって軽い話ばかりになりそうである.何でそんなところへ行くのかとむかついている秘書さんには申し訳ないが,とにかく,マヨルカ島に行く用事があるのです.では,また.

2006年1月26日 Z