ヨーロッパの北を廻る

ここはケルン大聖堂横の広場、ローマ・ゲルマン博物館の向かいにあるホテル・ドームのレストランLe Merouである。強い雨に打たれながら悠久の時を刻む大聖堂の黒々とした高い塔を眺めながら、気持ちのよいランチタイムを過ごしている。今回、ヨーロッパの北を廻る長い旅も今日で終わりだ。今晩、フランクフルトから帰国する予定だが、残念ながら最終日のケルンは大雨となってしまった。それでも午前中に一つ、昼にローマ・ゲルマン博物館を見て満足し、雨を逃れて手近のこの閑散としたレストランに飛び込んだ。しかし、このレストラン、何レストランかも確かめずに入ったのだけれど、素晴らしいの一言である。ここ10年のドイツの食レベルの向上には目を見張るものがある(昔がひどすぎただけかも?)。相変わらずメインを外して、スターターのトマトスープとトリュフのフェットチーニにデザートのみを頼んだが、どれも素晴らしく美味しかった(つまり、イタリアン)。もちろん、ビールとワインとエスプレッソも忘れずに。トマトスープは透明なコンソメスープでこれまで食したことのない微妙な味わいが感動的でもある。フェットチーニも山盛りの夏トリュフのスライスがのっていて見事な出来映え。量は少ないが、美味しいパンが付いているので問題なし。ちなみに、スープは9ユーロ、パスタは14ユーロ。まあ安くはない。しかし、この景色とゆったりとした時間の流れは何物にも代え難い贅沢である。

さて、今回はヨーロッパの北の方を巡る少々長めの旅となった。2011年8月30日に最初の目的地であるケンブリッジに向けて出発し、強相関電子系国際会議(SCES)に参加、9月3日にオスロに移動し、5-7日はオスロの北にあるスクッテルッドでのワークショップ、最後にドイツのケルンに移動して、ドイツ−日本150周年記念の一環として行われたケルン大?東大ワークショップに参加した。帰国は今日11日の日曜日である。今回は単独行動がほとんどなく、いつも誰かと一緒だったので、この文章を書く時間がなかった。パスしようかと思っていたが、昨日、引き続いてブラジルに遠征しようとしている某神戸大のHH氏から楽しみにしているとの有り難いメールを頂いて、一人になったケルンの最終日に書き始めました。確かに今回はいろいろと面白いことがあったので書くことは沢山あるのです。まあ、短めに話を進めましょう。

まずは最初に戻ってケンブリッジ。20年程前、イギリスのブライトンであった低温物理会議LT-19?に参加した際に、そのサテライト会議としてケンブリッジのクイーンズカレッジで高温超伝導のワークショップが開催された。モット先生の講演を聴き、印象的なガラディナー(バンケット)に出たことを思い出す。あの頃は若かったのに今はすっかり年寄りになってしまった(昔話はやめよう)。今回のSCES会議には招待されていないので発表はなし。代わりにM2の小野坂君がポスター発表をしてくれた。彼は8月にロンドンで英語の夏期講習を受けて、完璧なKing’s Englishで発表した(多分)。ホテルは街中のB&Bである。名前はThe Castle Inn。かっこいい。おまけに3人部屋なのに結構安い。しかし、これがなかなかの「くせもの」ホテルであった。まず、ホテルの一階はパブでフロントがビアサーバーの後ろにある。建物は古く、バス・トイレは共用で2カ所しかない。初日の朝にトイレに行ったら、裸同然の若い男とTシャツ一枚の女の子に出会ってしまった(うむ)。誰かが朝ゆっくりシャワーを浴びているとトイレにも行けない。仕方なく、1階のパブのトイレまで出向くことになるが、そこも混んでいる。おまけに部屋には洗面所もない。かなり不便である。朝食は朝8時から1階のパブで出されるが、注文してから出てくるまで30分はかかる。それから食べ始めると、当然ながら会議の最初のセッションに間に合わない。しかし、イギリスに来てEnglish breakfastを抜くわけにもいかない。困った(同宿のHH氏は、朝一のセッションを聞いてから戻って朝食を食べておられた日もあったようで)。隣の建物は恐らく街唯一の小さな映画館で、その1階はディスコ(これは死語か)。毎晩夜中の3時まで轟音が鳴り響いていて、当然うちのB&Bにも地響きのように伝わってくる。最高のフィナーレは滞在4日目、最後の金曜の夜。なんと、ホテルのパブもダンスホールに早変わりして、街中の若者が集まってきたかのような盛り上がりをみせた。ホテルの“フロント”前を通り抜けるのもままならないほどの混みようで(ビールを出すのが優先)、当然、倍増した騒音は深夜まで延々と続いたのでありました。ちなみに某助教は近くのまともなホテルにご滞在でした。とまあ、文句ばかり書いてきたけれど結構楽しいところでした。少なくても、今のケンブリッジの若者の生活を間近に感じて興味深かった。

今回のSCES、これまでの会議とはかなり雰囲気が変わっていた。主に重い電子系分野の人達が主役の会議であったが、今回のテーマは他の超伝導から電池など応用の話まで多岐に渡っていた。次回は日本で開催されるので再び“重く”なるでしょう。サイエンス以外の話題は中日の夕方にあったガーデンパーティーと最後のバンケットかな。前者は、人形に針をプチプチ刺しているホッチーと並んでバスに揺られながら郊外の広々とした場所に連れて行かれ、さあビールだと思ったらフルーツポンチとイチゴとコーヒーでがっくり。バンケットは申し込んでいなかったが、ケンブリッジで一番大きなキングスカレッジであると聞き参加することに。かつての高温超伝導ワークショップの時にクイーンズカレッジで催されたガラディナーはとても雰囲気がよかったことを思い出して。事務局に問い合わせると幸い2つキャンセルがあって、HH氏と一緒に参加することになる。会議終了後、みんなでキングスカレッジの広大な芝生の上でシャンパンを飲んでいるのが写真。普段は立ち入り禁止の芝生の上で周りを取り囲む巨大な教会や古い建物を眺めながら夕日がゆっくりと沈んでいく。実に素晴らしい一時であった。しかし、それからが問題である。上田、細野大先生に挟まれてバンケット会場の大きな建物(写真右)に入っていこうとすると、入り口の若造におまえはここじゃないと宣告される。確かにもらった券にはセントキャサリンズカレッジと書いてある。ここを出て隣のカレッジに行けと言われて追い出され、HH氏と辿り着いたところは小さな学食みたいなところだった。キングスカレッジの壮大なダイニングルームとのあまりの落差に唖然とし、渋々とディナーを頂きました。弦楽四重奏はまあよかったけどね。どうも、キングスカレッジの定員300名を超えた人達は閉め出されたようです。食事後、キングスカレッジのバーに戻り、皆さんと合流し、ぶつぶつ文句を言いながら酔っぱらって楽しい夜は更けていきました、まる。

9月3日の土曜日にロンドン経由でオスロに飛ぶ。初めて見るノルウェーの森はどこまでも果てしなく続く。月曜の朝に次の目的地であるスクッテルッドに向かうまで時間がある。あまりに高い物価に呆れながらも(水が500円もする)、ヴァイキングの古い船を眺め、ムンクの世界に浸って感動する。誰かが見ない方がいいよと言っていたが、ぼくは好きである。有名な叫びはあまり好みではないが、その他の多くの絵の中に強烈な狂気を感じる。絵を描くムンクの姿がその感情とともに浮かび上がってくるような気がする。ちなみに、ムンクが精神的に落ち込む前に書かれたパリの明るい風景画も結構気に入った。大事なことはムンクの絵はここノルウェーで見なくてはいけないということ。パリでも東京でもカリフォルニアの青い空の下でもダメである。

さて、スクッテルッドでのワークショップ、これが今回の主な目的である。ここ数年にわたって活発に研究が行われてきたスクッテルダイトという物質群のおおもとがここの鉱山だ。200年ぐらい前にここでコバルトと砒素の鉱物が発見された。そこからコバルトを取り出し釉薬として陶磁器に彩色し、きれいな青を生み出したのである。当時、ノルウェーは貧乏な国で(今は油田と鉱物資源で大金持ち)数少ない産業だったらしい。この鉱物が21世紀になって物質科学の舞台に登場したわけである。よって、スクッテルダイトマニアの聖地で会議を開くことがHH氏の長年の夢であり、それがとうとう実現したのである。私はむしろパイロクロリアンで、スクッテルダイタニアン(勝手に作った、失礼)の1人ではないが、まあ似たようなものなので無理矢理参加させてもらった次第です。どうも。

会議は会議でもちろん大変真摯に行われたが、最大のイベントはやはりスクッテルッド鉱山跡へのエクスカーションであった。20人ものマニアックな日本人が遠路はるばるやってきたのだから、当地のツアーガイドも驚きでやりにくそうだったが、なかなか面白いツアーであった。ちゃんとヘルメットをかぶりポンチョを着て、鉱山の地下深く地底の裂け目のような空間に潜航していくと気温は5℃に冷え込む。かつてコバルト鉱石を掘り出し運び出した頃の雰囲気が色濃く残されていた。コバルトを含む鉱石の存在を手で重さを確かめて判断したという逸話には驚く。さて、スクテルッドはskuterud、スクッテルダイトはskutteruditeである。tが一つ増えた理由はどこぞのドイツ人のせいらしいが、詳しいことは聞きそびれたので知りたい人はHH氏に聞いて下さい。エクスカーションの帰り道、小雨にもかかわらず無理矢理バスを止めてスクッテルッドと書かれた道路標識の前で記念撮影を行うスクッテルダイタニアン達でした。

何か一杯書くべきことがあったような気もするが、すっかり忘れてしまった。スクッテルッドの後、皆さんと別れて一人ケルンに赴いたわけだが、ケルンのことはもうやめておこうか。一つだけ、最近、年甲斐もなくトミーフィルフィジャーに凝っていて、ケルンの繁華街を歩いていたら偶然、そのショップを見つけた。そこでセーターとキャップを買ったのだが、店内を物色していると、かわいいお姉さんがやってきてケーキやコーヒーにワインまで如何ですかと勧めてくれる。素晴らしい。ケルンはいいところである(旅行の印象なんて所詮この程度のものにすぎない)。

さて、この文章、実はほとんどをイタリアに向かう飛行機の中で書いた。なぜイタリアに向かっているかは気にしないで下さい。ムンクの絵もそうだが、こういう文章は日本では書けないようだ。ということで、またね。Z