国際会議の四方山話
国際会議の四方山話
1.はじめに
今回はインドである.壮大で混沌で不可思議な国として名高いインドである.生まれて初めてのインドである.2005年10月22日(土曜日)から30日(日曜日)までの一週間,南インドの高地にあるバンガロールと西インドの大都市コルカタ(昔はカルカッタ)を訪れる機会を得て,やたら忙しくなってきた日本から逃げ出してきた.コルカタで開かれるIndo-US Conference on Novel and Complex Materialsに招待されて,ついでに前から行ってみたかったバンガロールへC.N.R.Rao教授を訪問することとなった.なぜ日本人がIndo-USに呼ばれるのかは謎だが,まあ光栄である.参加者は米国人と米国で活躍するインド人,そしてもちろんインド国内から.他の国からの参加者はお隣の東大新領域の藤森先生と欧州からAndersen教授のみ.米国からの参加者には旅費が支給されるようだが,我々には招待状のみ.まあいい機会を与えてもらったので文句をいう筋合いはない.
インドのサイエンスのレベルは高い.我々の分野でも多くのインド人が世界で活躍している.個人的に知っている人たちは実に頭の回転が速くものすごいパワーを持っているように見える.前出のRao教授も然りで,固体化学の大御所である.今回の訪問から是非何かを学びたいものである.コルカタの会議も蒼々たるメンバーが揃っており,有意義なものとなるであろう.あいや,しかしながら,それにもまして興味があるのはインドの国自身である.サイエンスとインドを肌で感じる旅を期待しているが,果たしてどうなることやら.
インド行きが近くなってきた頃から,インドについて勉強を始めた.まず定番の「地球の歩き方」を読み,他の国のと比べてあまりの力の入れように驚く.図書館に行き数冊のインド旅行記とインドに関する本を借りてきて読み倒す.最後に椎名誠の「インドでわしも考えた」を持参して読み終わったところ.ちなみに今はタイ航空でバンコックに来てバンガロールへの乗り継ぎ待ち中です.インド旅行記はどれも面白かったが,女性が書いたものと男性のとではずいぶん感じが違うのが興味深い.インドは圧倒的に男性社会なので日本の若い女性は親切にしてもらえるのかな.どれもとにかく体当たり経験談の塊でそれなりに面白く参考になったが,最後の椎名誠はなかなか味わい深いものであった.彼の旅は現地観光局ガイド付きインド一周ツアーであり他と趣が随分異なっていて一見薄っぺらな感じもする.もちろんプロの物書きであるから文章が上手いせいもあるが,妙に心惹かれるのは自分と歳が近いせいか.椎名氏の特徴はいっさい前知識なしに訪れ,インドはこんなところだとまとめないところか.どんな話が載っているかを書き出すときりがないので皆さん興味があったら読んでみて下さい.
乗り継ぎ便が出るまでまだ1.5時間ある.バンコックへ来るのは新婚旅行で立ち寄って以来,16年ぶりです.バンガロールに着くのは夜の9時半過ぎ.バンコクまで6時間,3時間待ってバンガロールまで3時間の計12時間の旅です.暇なのでだらだらと書いてしまった.じゃ,また.
2.バンガロールにて
バンコクからの便は当たり前だがインド人だらけ.機内食も日本からの便よりスパイシーになったような気がする.30分ほど遅れてバンガロールの空港に到着し,出迎えの車でJawaharlal Nehru Centre(JNC)のゲストハウスへ.ここはTata Instituteのとても広い敷地内にあり,結構きれいなので安心してベッドに入る.夜は一晩中激しい雨が降っていてどうなるかと思いきや,翌日の日曜日にはあがっていざインド見学と相成りました.実は日曜に飛ぶ飛行機がないというれっきとした言い訳があって1日早く来たのです.朝食に大きなマンゴーの半身とオムレツにパン,コーヒーを出してくれた,親切なコックさんに相談し,タクシーを呼んで半日観光に出発です.ちなみに料金は4時間330ルピーでしたが,時間がかなりオーバーしたので500+チップ50ルピー(空港での交換レートでは1ルピーが3円弱なので1500円程度).運転手は如何にもインド人という顔立ちの26歳のKumayesudoos君.2ヶ月後に結婚するそうな.
まず訪れたのは近くの新しく大きなヒンズー寺院.クマ君と一緒に裸足になってカメラを置いて入っていくと,入り口になかなか進まない行列がある.読経が鳴り響く中ゆっくり進んでいくと紙を手渡され,行く手には迷路のような回廊に飛び石が並んでいる.一辺40cmくらいの大理石の上を順番に飛び移るのである.なぜか所々,列に隙間があっても前に詰めようとしない.初めはわからなかったが,皆さん呪文を唱えながら1フレーズが終わると一斉に前に移るのです.渡された紙には様々な言葉(英語も)で,クリシュナ,ハレ,クリシュナ,ハレ,...という感じの簡単な言葉の組み合わせが書いてあり,皆さん読経に合わせてこれを早口で唱えながら終わるたびに一斉に移動するのです.飛び石の数は少なくとも100個はあり,心地よいリズムなので聞いているうちに覚えてしまった.でも,書こうとしたら思い出せなかったが.ははは.最後の階段を上ってゴールにたどり着くと自分で鐘を鳴らして甘いお菓子をもらい,クリシュナ神が奉ってある本堂へと進んでいきました.出口で再びお米と何かのスパイスが入ったとろっとしたものをもらったが,これは半分食べて遠慮した.寺院の中身は今一だったが,インド人の普段の生活の一部に参加できて面白かった.タクシーで観光するのは初めだったが,観光客だけではこういう経験は無理なので正解でした.
この後,さらにいくつかの寺院をまわり植物園に着く.ここには一人で入るが,暗い顔をした奴がなぜか一緒に歩き出し説明を始めた.必要ないと言ってもしつこく付いてくる.半分無視しながら一周して帰ってくると250ルピー出せとおっしゃる.私も気が弱いので5ルピー渡して納得してもらいました(してないだろうなー).ちなみに植物園で唯一の見物は巨大なバニヤンの樹でした.昼食はクマ君お勧めのレストランへ.彼は眠そうで待っている間車の中で寝ている.冷たいビールに,ナンとカレー6皿がのったミール,タンドーリチキン4ピースで大満足.ミールは赤坂のモティーで食べたら2000円はしそうなものが400円でした.おまけに辛いのを頑張って空にした3つの小皿を見つけたウエイターはなんと頼みもしないのにお代わりを持ってきた.彼は最初からうれしそうに辛いだろうと愛嬌を振りまいていたが(後でわかったが10%のチップを取られた),仕方ないな,じゃ,半分だけ食えと言ってお盆に敷かれたバナナの皮(本物でした)の上に取り分けてくれた.お陰様で明らかに入力オーバーとなりました.
さて,今日一番驚いたことは交通の凄まじさである.とにかく運転が荒っぽい.車間距離は前後左右ぶつからない程度.どの車もドアミラーを倒したまま走っている.気の短い日本人なら,前の車が信号が変わっても動き出さないとクラクションを鳴らすが,こちらの人は前に10台車がいても信号が変わる前にクラクションとパッシングの嵐を浴びせかける.一端渋滞するとバイクは縦横無尽に動き回り,3輪のオートリクシャーは小さいのでところかまわず潜り込む.クマ君のタクシーも大きいのにところかまわず潜り込む.その結果,日本だったら2車線の道路が4.5車線になる.大きな交差点にはお巡りさんがいて交通をコントロールしているようだがこれは例外.交差点に来るとどの車も相手が止まることを予想(期待)して突っ込んでいく.人ももちろんところかまわず道路を横断しています.初めはほんとに面食らったが,一日車に乗っているとカオスのように見える流れにも何となくパターンがあることがわかってきて,一度運転してみたくなってきた(これは撤回.絶対に運転したくない).ちなみにインドでは日本と同じ左側通行だと今になって気が付いたのでありました.いやはや,やはりインドでは書きたいことが沢山出てくる.長くなって済みません.
日曜の夜も激しい雨となるが,月曜朝にはあがって昼間は良い天気.どうもこれがバンガロールの雨期の特徴のようだ.実に不思議な感じがするが,夜しか降らないなんて便利ですね.どうしてこうなるのか多くの人に聞いたが誰もわからんとのこと.ちなみに,例年はすでに雨期が終わっているはずなのに今年は異常でまだまだ続くようです.さて,朝タクシーが迎えに来てくれて,10kmほど離れたJNCに向かう.例によって過激なドライブだが,なんと昨夜の雨で橋がいくつか流されたため大交通渋滞に巻き込まれる.タクシーは迂回してでこぼこぐちゃぐちゃの狭い道を飛び跳ねながら進む.路肩(はないが)には沢山の人が平然と歩き,クラクションの嵐の中を30分走ってようやく研究所にたどり着いたのでありました.
出迎えてくれたのはSundaresan氏.1年前までつくばに5年間いた人で助教授クラスの職を得てインドに帰ってきたそうです.1時間ばかりセミナーをして,ランチにもちろんカリーを食べ,Rao教授と話す機会を得ました.彼はかなりの高齢ですが,とてもエネルギッシュで首相に科学政策のアドバイスをするほど偉いお方です.政治で忙しいだろうと聞いたら,俺は政治はやらんと怒られてしまった.ある著名な教授との共著の本を見せてくれたので,どの部分を書いたのかと聞いたら,あいつの英語はdifferentなので全部書き直したと仰っておられました.あとでその話をスンダさんにしたら,よくそんなことを聞いたなと呆れられてしまった.とにかく,インドでは(世界でも)superprofessorなのです.
その晩,Rao教授が夕食に連れていってくれると言うのでゲストハウスに戻って迎えが来るのを待つがなかなか現れず,うとうとしている内に8時を過ぎてしまった.一体どうなったのか不明だが,そのまま寝てしまう.お陰で12時間も寝て元気一杯に火曜の朝を迎えた.夕食は残念だったが,行っていたら恐らく疲れて死にそうになっていただろう.訪問者を歓待する時はあまり連れ回さないようにするべきだと身をもって感じる.さて,夕方の飛行機まで余裕があるのでスンダさんが予約してくれたタクシーで街に出かける.マイソール王国の支配者であったティープー・スルターンの宮殿は貧相で見るものなく,博物館(インドで2番目に古いという)はなんと停電で入れなかった.そのうちに雨が激しく降ってきて(バンガロールでは夜しか降らないと言ったのは誰だ),店をひやかしている内に道路が川に変わる.タクシーで来ていて本当によかった.外はありとあらゆるものが雨に洗われて,でも到底きれいにはなりそうにない.洪水で狭くなった道路を相変わらず車と3輪車とバイクが喧嘩しながら進んでいく.
今,バンガロールの空港で飛行機待ち中.ここでバンガロールで感じたまじめな話を一つ書いておこう.タクシーはどの運転手もオートリクシャーが前にいるとクラクションを鳴らしてどけという.オートが遅いせいだろうが,それ以上に何かあるような気がする.一度,オートとあわやぶつかりかけた時,タクシーの運ちゃんは怒りまくりオートの運ちゃんは申し訳なさそうなにや笑いを浮かべた.その笑いが妙に引っかかっていたが,今になって何となくわかってきたのは,要するに権力者に対する上辺の表情である.恐らくタクシー運転手はオート運転手より身分が上なのである.下のものに対するあからさまなさげすみと上に対するへつらいが感じられる.ゲストハウスでも親切な管理人やコックたちも後ろを振り向いて掃除をしている人に向かうと顔が変わっているようだ.嫌な話だが,これが現実である.ここでは本人の努力ではどうにもならないことが変わり様のない事実として存在している.
話が暗くなって済みません.で,毎度食い物話を二つばかり.今日もお昼は「Tandoor」という高級レストランへ行く.外で待たしているタクシーのことを考えると複雑な気持ちもするが.タンドールチキンとほうれん草とチーズのカリー(メニューにはなかったが言ったら作ってくれた)を頼んだつもりだったが,適当にうんうん言っていたら,余分に豆のカリーとヨーグルトに野菜が入ったものまで出てくる.どれもハッキリ言ってとても美味しかった(うらやましいでしょう,ははは).暇なウエイターが次々にやってきて話かけてくる.一人が「おまえはシンガポールから来たのか」と失礼なことをぬかすので日本に決まってるだろうと言うと不思議な顔をする.挙げ句の果てにイタリアかと言われ,頭に来ておまえもインド人じゃないだろうと聞くと,確かにネパールだと仰る.
そこに参加してきた如何にもという感じのインド人と比べると確かに顔立ちが違っていて,2人並べて写真を撮ってやるととても喜ぶ.右のネパールおやじの方は実に穏やかな表情をしている.ちなみにインド人は写真を撮ろうとするととても喜んでポーズを取ってくれる.実に面白い.最後にチャイ(ミルクティー)を頼むが,3種類あってどれが美味しいかで4-5人集まってきて議論になるが,マサラティーを頼んで皆が納得する.インドにしては明らかに高かったが,楽しいお食事でした.
次は機内食のお話.バンガロールからハイデラバード経由でカルカッタへ向かうは, JetAirwaysという飛行機で,果たしてインドの国内線でどのような食事が出るのか興味津々であった.メニューはサモサ,豆のカリー,芋だんご,緑の液体とあまーーーーいデザート.サモサもカリーも美味しい.昼に食べ過ぎて食欲がなかったのに,カリーは食べられるから不思議.問題は緑の液体.冷たくて酸っぱいのに驚き,しばらくするとすごく苦くなってくる.辛さは感じないが,汗が出てきたので多分かなり辛いはず.昨日のミールにも一つだけ酸っぱいのが入っていたが,一種の薬でこれを食べると少しすっきりした気になります.後で出てきたデザートも得体の知れない物ばかりで全部パスした.フルーツサラダにまで香辛料を振りかけるなと言いたい.マンゴーピクルスとかいう見ただけで汗が出て来そうな物がなんでデザートなんだ.よくわからないが,面白かった.
3.コルカタにて
旅の前半が終わり,木曜日,コルカタでの会議2日目の途中です.なんで会議の途中で書いてるかって,まあそういうこともあります.火曜の夜中にコルカタ空港に到着し,オークリッジ国立研究所のDavid Singhと一緒にホテルまでタクシーに乗る.シンさんは前から仕事の上で知っていたが,今回初めてバンガロールのゲストハウスで偶然出会った.今回のIndo-US会議の米国側の主催者です.バンド計算屋で,とても穏やかにしゃべる人.このタクシー,若い運ちゃんが隣に友達を乗せて走りだし,なんか暗いなと思ったらメーター類のライトが一切点いてないので見えない.まあいいかと思いきや,なんとヘッドライトも点いてないじゃないか.冷や冷やしながら30分でハイアットリージェンシーに無事到着.料金は180ルピーと激安でした.ハイアットは会議会場のホテルで,市内中心から10kmほど離れた郊外にある超豪華なホテルです.フロントに赴くとなんと普通の部屋が空いてないので,今晩だけスイートルームに泊まってくれ(もちろんシンさんとは別々の部屋)とすまなそうに言われ,ずっとでもいいよと言うと,スリムな受付嬢が大きな瞳でにこっと微笑む.案内されたのは,ほうんとうに?と疑いたくなるほどすばらしい部屋でした.3面ガラス張りにバルコニーが付き,とにかく広い.有に30畳はあるリビングルームの中に大きなソファー,モダンなテーブル,ガラス製の仕事机(マウスが使えないぞ)が配置され,さらにその奥に広いベッドルームがあって,両者は豪勢なバスルームで繋がっている.どこもモダンな調度品で飾られ,文句の付けようがない.束の間のお金持ち気分に浸り,すでに12時を過ぎているというのに眠るのがもったいないと興奮しておりました.明朝始まる会議では2番目に話さないといけないのに準備もせずにです.貧乏人にはちょっと刺激が強すぎたようです.
水曜日の会議初日,それでも朝早くから起き出して話の準備をし,贅沢の続きでルームサービスの朝食を取る.気合いを入れ直して40分の講演に臨み、いつものように息切れすることもなく適当に笑いを取りながら上手くこなせたと思う.沢山の質問が出て何人かからgood presentationだったと誉めてもらえたので素直に喜ぶ.その後は寝不足と疲れでぐったりして一日が終わりました.夜は藤森先生他何人かと近くのショッピングセンターに行った.ホテルから一歩外へ出るとスラム街となっている.暗い道端でどう見ても違法そうな水道から出る水で頭を洗ってるおばあさん,元気に走り回る子供たち,地べたに座り込んでだべっている若者たち.5分ほど歩くと10ルピーの入場料を払って入るモダンなマーケットがある.中は小さな土産物屋や服屋さんがあり,インド風のシャツを330ルピーで購入.さらに歩いていくと映画館が集まったシネマコンプレックスがあり,その並びの無国籍料理風な洒落た店で食事をした.インドも実は急速に変化しているのである.この辺も2-3年前はひどかったらしいが,新しい建物がどんどん建っていて日本と変わらない風景が見られるようになってきたようだ.カルカッタも中心部は込み入っていて変わりようがないようだが,郊外はどんどん近代化しているらしい.翌日のランチで隣になったSugataさんは近くに住んでいる人で,紅茶の話を始めたら盛り上がってしまって,昼休みに近くの大きなショッピングモールに紅茶を買いに連れていったもらった.そこは完全に西洋化された場所で,ケンタッキーフライトチキンにピザハット,スーパーマーケットにデパート,そしてもちろん映画大好きインド人には映画館.そこでお土産に一番いいダージリンの紅茶を1kg,300ルピー(900円弱)で買いました.実に安い.
木曜は夕方から会議のホスト機関であるBose Centerという研究所へ赴き,若い人たちのポスター発表を聞いてその後,主催者ディナーがありました.ディナーといっても屋上で例によってカリーとご飯とナンに甘い物を食べるというもの.バンガロールの若い理論家Shenoyと話し込む.インド人の生活についてカースト制度,結婚,持参金の話など興味深かった.インド本を読むと,結婚は今でも親がカーストの身分に合わせて決める,とか,花嫁は日本の価値にして数千万円の持参金を払わなければならないとか,いろいろ書いてあるが,都会ではこのような慣習は消えつつあるとのことでした.彼から,イラクについて日本はどう考えているのかとか,某首相が神社に行くのはと聞かれて返事に困ってしまいました.
金曜は朝早くから一人ホテルを抜け出して市内に出かける.カルカッタに着たら必ずバンガロールで見損ねた博物館と市内の雑踏を見に行きたいと思っていたので,少々気が引けながらもタクシーに乗り込む.モイダン公園という広大な公園に着き,散歩をしてから中心街に入っていった.公園は静かでクリーンな憩いの場という感じだが,一歩外へ出るとクラクションと人の波.チョウロンギ通りという大きな通りに沿って歩いていくと皆さん屋台の開店準備に忙しそうにしているので,変な日本人が歩いていても気にしない.が,10時を過ぎて準備が整ってくると,来るは来るは客引きお兄さん.どいつもこいつも,ナマステで始まり下手な日本語が続き,いい店に連れていってやるとなる.だた歩いているだけで買い物はしないと強く言っても全く聞く耳を持たない.でも,少し話をしてやると満足したのか諦めて離れていく.要するに暇なのだろう。大通りから一歩細い通りに入り込むと,庶民の朝の生活が強烈に飛び込んできて実に面白い.丸い石釜の上でナンを焼く少年や地べたに座って器用に包丁で野菜を切るおじさん,見事に狭い場所で店開きをしている散髪屋さんなどなど.カメラを向けて笑いかけてみるとにこっとしてくれるのがうれしい.撮った写真をモニターに出して見せてやると喜んでくれる.道端のチャイ屋さんにトライしてみようかとも思ったが,歩道に食器をこすりつけながら洗っている人を見かけて,君子危うきに近寄らずと思い直し,近くのオベロイホテルで一休み.ここでもショウガの利いたマサラティーが疲れを癒してくれた.
そこでいよいよ目的の博物館へ向かうが,その目前で店開きを始めたコイン屋に引き寄せられる.コイン屋といっても粗末な布の上にコインを並べただけ.店主は英語がだめなようでなぜか英語の話せる怪しい奴が割って入ってきて駆け引きが始まった.あとで気が付いたが,こいつはあちこちの店で通訳兼交渉係として仕事をしているようだ.さて問題のコインだが,インド帝国最後の1ルピーコインが300円とかインドの神々が踊る1818年の大型銀貨が800円(East Indian Companyと刻印がある),ムガール帝国アクバル帝時代の500年前とか1000年前のコインまで出てきて,一目見て気に入ってしまった.しかしながら,これらが本物かも値段が妥当かも全くわからない.でも,こんな物をまじめに模造したら1000円で割が合うはずもなく,見るからにそれらしくて値段もまあまあなので一応信じて,何とか値切ろうとするが敵も然る者,なかなか値段が下がらない.結局,根負けして1割引きで諦めました.でも,とてもよい土産が出来てうれしい.後日談だが,米国にいる知り合いのインド人にこの話をしたら,インドでは偽コインが大量に出回っていると教えてくれました.恐らくこれもそうでしょう.なんと言っても安すぎる.でも,まあお土産としては上出来で,すべて研究室の皆さんにあみだくじにより配られました.皆さん,偽物でも怒らないでね.
インド博物館は入場料が150ルピー.でもこれは外国人料金でインド人は10ルピーです.6番目の客引きおやじが,黙って10ルピー出せば大丈夫だというが,どうしてだと聞くと,どこかの聞いたこともない地域の奴はおまえみたいな顔をしているとぬかしやがる.むかっときてちゃんと150ルピーを払う.でも,実はコイン屋でお金を使いすぎて残りが心許ない.博物館は彫刻などそれなりに興味深かったが,特に感動するほどでもなかった.しかし,コインの展示だけは気合いを入れて見て回り,先程買ったコインがそれなりの時代のコインの特徴を備えているように見えたので,一応,満足.
外に出ると5番目の客引きカラーシャツと再会する.ちょうどよいので両替屋まで連れていってもらう.その後仕方ないので店に付きあうと,親戚一同4人に囲まれ迫られるが,どれもこれも大した品物がなく,しかも高い.さっさと強制退去し,それでも付いてくるカラーシャツの根性に敬意を表して20ルピーのチップを上げたのでした.カラーシャツはタクシーまで捕まえてくれて行き先を伝え,最後になぜか固い握手をして分かれたのであります.インド人は面白い.
その日の夜は皆で町の中心を流れるフーグリー川(ガンジス川の支流)でボートに乗り,気持ちのよい川風に吹かれながらリラックスしました.途中で寺院に立ち寄り,船上で夕食を食べて何人かの人と親しく話せるようになる.米国人と長時間話すのは大変でなかなか話が続きませんが.ちなみにアルコールは出ないので,バンガロールでの昼食以来,禁酒を続けています.フーグリー川はゆったりと永遠の時を刻むように流れていく.川岸にはいくつかのガート(沐浴場)があり,水に入って身を清めている人々が見える.洗濯中の女の人や体中泡だらけにしてお風呂中の男の人,元気に泳ぎ回っている子供たち.川の水は明らかに濁っていてとてもきれいには見えないが,みんなへっちゃらなのである.われわれのような頭でっかちの年寄りがここでバタフライをすると(たかのてるこさんの「ガンジス川でバタフライ」は面白い),きっとみんな下痢をして赤痢にかかって肝炎で死ぬ思いをすることになるのだろう.バンガロールの研究所でランチを食べた時,ゲストにはミネラル水が出されたが当地の皆さんが飲んでいた水は明らかに黄色かった.この船でも最初に出された水はコップに入ったミネラル水だったが,それはだめだと突っ返して使い捨てのプラスチックコップに変えられたのでした.もちろんコップを洗ったのは生水だからです.われわれはなんと弱い存在かと思わざるを得ません.もし,世界に何かが起こってサバイバルが始まったら,真っ先に死に絶えるのは欧米人と日本人でしょう.ここに生活する人々は恐らく最後まで生き残り,今と変わらぬ生活をずっと続けていくに違いありません.
いよいよ土曜日,インド最後の日です.朝からまじめに会議に出席する.これまで会議の内容についてはほとんど触れませんでしたが,Novel and Complex Materials(新規で複雑な物質?)について実に様々な話がありました.ほとんどが物理屋さんによるものでかなり難解であり,また,インド人の早口英語も目白押しで,しばし瞑想に耽っておりました.仲良くなったカルカッタのスガタさんから,瞑想とは何も考えずにリラックスしているが精神的には高揚している状態であると教えてもらいました.私のは前者のみなので瞑想とは呼べないものでしたが.午後には今回の会議の成果と今後の課題についてパネルディスカッションがあり,活発な意見交換がなされました(今一内容がよくわからないが).一週間ほど前に首脳会談が開かれ,今後のIndo-USの協力関係を発展させることが決まったそうです.両者が半分ずつ(ここが大事らしい)資金を負担して(総額が一千万円弱),今後あらゆる分野(津波対策まで含む)で協力関係を進めるそうな.もちろん日本には関係ありませんが,最近,日印でも同様の会議が開かれるそうです.夕方まで会議は続き,最後に唯一の化学者であるCornel大のFrank DiSalvoがエネルギー問題を論じて(中身は燃料電池の触媒の話),主催者であるDavid Singhと Tanusri Saha-Dasguptaが締めくくり会議は無事終了しました.めでたしめでたし.日本人は完全にエイリアンでしたが,両国の著名な研究者や若い人たちと顔見知りになり,それだけでも大変有意義であったと思います.
帰りの飛行機は午前2時の出発です.今,9時を過ぎ,ホテルのインド料理レストランで一人食事を終えたところ.ちなみにこのホテルには立派なイタリアレストランもある.関係ないが,プールサイドを歩いていたらマッチョな男の人に声を掛けられ,連れて行かれたところはマッサージ室.アーユルベーダのオイルマッサージを一時間5千円弱でしてくれるそうで,是非試してみたかったが時間が取れず残念でした.話が脱線したが,このレストランもとてもサービスが良く長居をしながらこの文を書いている.冷えたビール(Kingsfisherというバンガロールのビール)とパパタ,タンドーリチキンとガーリックナンを頼む.ここで食べたタンドーリチキンはこれまでで最高の味わいでした.カリーは量が多いので止めとけと言われ,味見にといって結構な量をサービスしてくれた.最後にマサラティーで締め,大満足です.
インドではお金を出せばとても行き届いたサービスが受けられる.この高級ホテルでは設備はもちろん,従業員の応対も気持ちよく,例えばエレベータで一緒になると必ず丁寧に話しかけられる.英国統治時代から引き継がれたものでしょうか.ただお客にへつらうのではなく,各自の仕事に誇りを持っていることが窺われてこちらも気持ちのよいものです.欧米のそれなりのホテルでもちゃんとしたサービスが受けられると思いますが,何か違いがあるような気がする.さて後1時間ほどでホテルを出発し,バンコク行きの飛行機でインドを発ちます.何やらデリーではテロがあったそうでびっくりしましたが,デリー経由にしなくてよかった.
4.最後に
来る前からずいぶん気合いを入れてきたインド訪問でしたが,以外なほどトラブルもなく,それほど不快な目にも遭わず,気持ちよく過ごすことが出来ました.心配していた下痢問題も無事にやり過ごし,食事もまあまあ楽しんだ.若い人たちが経験するような刺激もなかったけれど,これも年相応と考えるべきでしょう.仕事で来ているので当たり前かもしれませんが.でも,お陰様で2種類の日本人の内,またインドに来たいと思う方に入れたようです.インドで何を考えたのか,ちゃんと整理できませんが,帰りの飛行機の中で考えてみます(と思ったのですが,疲れていてずっと寝てました).皆さんも機会があったら是非インドを訪れてみましょう.きっと人生観が少し(かなり?)変わるはずです.次回また機会があったら,もう少し余裕を持ってインドに入ってみたいものです.
2005年10月30日
Z
インドでぼくも考えた
2005年10月22日土曜日