四方山話
四方山話
久しぶりに筆を取ります。今回はグルノーブルでの中性子実験への参加を口実に、ゴールデンウイークを利用してフランスを周ることにしたのであります。4月30日に出発して5月8日に帰国。しかし、飛行機チケットの値段(4月29日に出発するのは不可能なくらい高い)と滅多にない講義のスケジュール(9日の午前中に講義が)のために、かなりの駆け足になってしまった。パリのドラコさんとツールのラフェッツさんのところに寄って、目的のグルノーブルは最後の2泊のみ。実験の最終日に行って議論をするだけになりそうだ。おまけにパリで寄ろうと思っていた一方の研究室は休日のためお留守。5月1日はフランスの数少ない休日なのを知らずに予定を組んでしまった。その日だけでなく、今年は8、9日も休日でこの期間は子供達の学校も休みになるらしい。つまり、フランスもゴールデンウイークなのでした。フランスは休日は少ないくせに、ご存知のように、やたらと休暇の長い国である。
ドラコさんはパリの南西オルセーにあるパリ南大学の化学の教授で、かつて東大の北沢研や高木研にいたことがある日本通であり、昨年、岡山で開かれた会議で仲良くなった。独自の研究スタンスでいい仕事をしている。その上の先生であったレフコレフスキー教授はすでに引退しており、事実上その跡継ぎでもある。ツール大学のパトリック・ラフェッツ教授もかつて日本で研究したことがあり、ぼくがベルギーのアントワープにいた時(1995-1996)に同室だった仲である。一度来いと前から言われていたので今回足を伸ばすことにした。
4月30日火曜日、今回もANA、到着はシャルルドゴール空港のメインである第2ターミナルからずいぶん離れた第1ターミナル。エールフランスの国内線に乗り継ぐ人にはお勧めできない。隣の人は到着が遅れたせいで慌てて降りていった。ここからリヨン駅近くのホテルまでエールフランスバスに乗るが、雨の中、空港中を走り回って30分、さらに大渋滞に捕まって2時間以上かかった。これも「ゴールデンウイーク」のせいか。幸い二つ星ホテル、パリムはバス停すぐ近くに簡単に見つかった。まあ、星の数に見合った素敵なホテルで一泊12,000もする。円安のせいもあるが(1ユーロ130円)、7,000円がいいところか。おまけにチーズもハムも卵もない朝食が8ユーロもする。クロワッサンだけは美味しいが、うーむ。さらに悪いことに、ネットが故障で繋がらない。結局回復したのは3泊目の朝でした。仕方ないので、リヨン駅のスタバでネットを試みるが、フランス語しか出てこず断念。
翌日朝からメーデーで完全休日のマレ地区を歩く。手袋が欲しいほど寒い。分厚いコート姿の人波の中を薄手のセーターと夏用のジャケットで歩いていると体の芯まで冷えてくる。Gare de Lyonから出発、Viaduc des Artsの廃線となった高架鉄道のアトリエ・ブティック街の上を歩き、バスティーユ広場へ。1789年7月のフランス革命勃発に想いを馳せながら、des Vodges広場を通り抜け、完全休日のフラン・ブルジョワ通りを歩いて、ポンピドーセンターを横目に工事中のForum des Hallesに沿って、ルーブルのピラミッドに辿り着く。もちろん、ここもお休みなので人影はまばら、でもない。サン・ロック教会からパレ・ロワイヤルを眺めて、2時間半、さすがに歩き疲れ、セーヌ川にかかるPont Neuf橋近くのレストランL'Auberge Caféでランチ。パテ(下の写真)にチーズたっぷりのポテトグラタン、デザート盛り合わせに赤ワインでしめて35ユーロでした。これで以前の円高の時のように3,500円なら結構だが、4,500円だとちょっと高いね。午後はドラコさんと再会して話に花が咲く。
木曜日朝からオルセーのパリ南大学まで一時間。植物園ともなっている谷に古い建物が点在する。例によってラットリングのセミナーをするが、休暇中なのに15人以上の人が集まってくれた。ドラコさんは熱電材料をメインにやっていて様々な合成から、自ら測定装置を立ち上げたりしている。彼の研究室は2,3年後に新しい建物に引越するらしい。サルコジが始めた教育改革の一環で、この一帯にある幾つかの研究施設を合体して巨大なサクレー大学が出来るそうだ。夜はすでに引退したレフコレフスキー先生のお宅にお邪魔し、ブローニュの森近くの洒落たレストランに連れていってもらう。もう73歳だというのに全くお元気で、今、研究で何が流行ってるのかと質問されてうまく答えられず情けない思いをしました。
金曜の朝、モンパスナス駅からToursまでTGVで1時間。迎えに来てくれたパトリック・ラフェッツに連れられてツール大学に行き、Cd2Os2O7の金属-絶縁体転移の話をする。人数は少なかったがちゃんと理解してくれたようで鋭い質問をされてまあ良かった。ちなみにフランスの休日は3つのゾーンに分けて時間差があるらしく、ツールでの休日はすでに終わっていた。しかし、5月の中旬に5年の研究費の評価、申請があるようで、そのための準備や重要な会議があって忙しいらしい。やはり、ゴールデンウイークにフランスに来るのは時期が悪いのである。今後の教訓その一。翌日、パトリックの家に連れて行ってもらう。ロワール川のほとりにあるブロアという古い町(どの町も古いが)の郊外にある。下の写真はブロア城。彼の家はこのお城より質素だが、6000m2の広大な敷地にプールまである(ただし、敷地の2/3は丘のスロープ、スキーができそうな)。これで守谷の中古のわが家とほぼ同じ値段だというから驚く。彼の奥さんのイザベルもかつて日本にいたことがある研究者であり再会を懐かしむ。11と15歳の娘さんとの4人ぐらしで、実に幸せそうで羨ましい限りだ。美味しい料理とチーズにパン、もちろんワインも一緒に歓迎してくれて感謝感激。来る途中の狭い道路で、大型トラックを無理やり追い越してきた対向車がいきなり目の前に現れた時には完全にぶつかると思ったが、さすが日本車(三菱)、というかドライバーの腕のお陰で間一髪ですれ違い、事なきを得たのでありました(正直言って大事故になっていてもおかしくない状況だった、くわばらくわばら)。ベネチアで拾った命はまだしばらく持ちそうだ。
日曜にパリ経由でグルノーブルへ向う。直行便はないので、パリのオステリッツ駅からセーヌ川の反対岸にあるリヨン駅まで歩く。パリもすっかりよい気候となり、寒かったメーデーの朝が嘘のようだ。リヨン駅でビールを飲みながら軽く夕食をと思ってクロックムッシュを頼むがまずくて食べられない。10ユーロもしたのにひどいもんだ。スターバックスでコーヒーとビスコントを買ってグルノーブル行きのTGVに乗り込む。スタバで名前を聞かれ、h-i-r-o-iと言うが、渡されたカップにはh-a-r-o-yと書かれてあった。まあ、三つも合っているのだから上出来か。
この季節のTGVの車窓風景はなだらかな丘に広がる緑の畑とその中に突如現れる真っ黄色の広大な菜の花畑。色の対比が実に見事だ。とっぷり日の暮れたグルノーブルに到着し、駅裏のHiparkというレジデンスホテルに着く。モダンなキチネット付きで値段の割には快適。翌朝、15ユーロもする朝食を遠慮して、近くのパン屋でバゲットとパンオショコラを買い、スーパーでグレープフルーツジュースと洋梨を買い込んで、自前のコーヒーにて朝食となす。悪くない。
ILLへの道は相変わらずの工事中で悲惨だ。なんと、最近、研究者の女性が跳ねられて亡くなったそうだ。来年にはトラムが開通するというが果たして予定通りにいくか。ILLでムツカに会い、取れたてのデータを見せてもらいながら議論。専門の話で恐縮だが、GaxV2Al20の試料でGa/Al原子のラットリング振動の異常に大きなソフトニングが見えたようで何より。夜は実験担当のドイツ人、実験にきているスウェーデン人とイタリア人にフランス人、それにフィンランド人のムツカの計6人で、市内のイタリアンに赴く。何だか訳の分からないうちに酔っ払って盛り上がったのでした。
5月7日、火曜の朝、再びILLに行き、今後の実験の打ち合わせを行い、昼過ぎのTGVでシャルルドゴール空港に戻る。何事もなく順調に。一点、有り難いことに帰りのANAは満員でビジネスアップになりました。かつてのエールフランスではあったことだが、ANAでは初体験です。ただいま、山形の寿というお酒を飲みながら、この最後の段落を書いている。ちょっと幸せ。おまけに、最近話題のミュージカル映画、レ・ミゼラブルをやっている。フランス革命前夜のパリの様子に、1週間前に見たバスティーユ広場の情景が重なって興味深い。今回のように会議のない旅もいいものだ。少数の人とじっくり話ができる。研究もやはり人と人のコミュニケーションの上に成り立つものであり、信頼関係を築くことが重要である。などと、自らに言い訳をしながら、祖国に帰って行くのでありました、丸
メーデーのパリ
2013年5月12日日曜日