国際会議の四方山話
国際会議の四方山話
今回はハワイのホノルルに行きましょう。もちろん仕事で。環太平洋化学会(PACIFICHEM)なる巨大な国際会議に出席するため、クリスマス前のホノルルに向かっている。飛行機は満員。ほとんどの皆さんがもちろんリゾートしに行かれる。その中で今晩の講演準備をしているおじさんが私です。2015年12月16日水曜日の夜10時半に羽田を出発して6時間、あと1時間で到着する。講演は同水曜日の夜7時から。時差があって1日戻るので当たり前だが、なんだか変な感じ。昼のセッションの続きかと思い込んでいたが、ややこしいプログラムを解読すると、なんと私は最初の講演者だった。こんなことに前日になるまで気付かないとは。さてどうなることやら。
この会議、あることは学生時代から知っていたが今回が初めての参加となる。5年に1度、太平洋周りの人達が集まってやっている(オリンピックより周期の長い国際会議は珍しい)。学生時代に聞いた話では、先生達が何人も参加したのにお互いに出会わなかった(みんな自分の講演以外はビーチにいた?)とか、技官の人が公用パスポートで行って入国書類の「観光」にチェックし、イミグレーションで詰問されたとか。少々変わった会議というイメージをもっているのだが果たして実情はどうだろう。
今回、参加することになったのは「フラストレーション」をやっている人達が企画したセッションに呼んでもらったからである。こういう巨大な会議はあるテーマでセッションを提案する人達がいて、その集合体として会議が行われる。とにかくたくさんセッションがあって、とても全体像はつかめない。おまけにホームペーがわかりにくくて困ったもんだ。知り合いが結構いそうだが、出会えるチャンスは低そう。ほぼ全て化学テーマのセッションだが、フラストレーションは相当、というか完全に物理寄りで少々浮いてる感じがする。他にも京大の陰山氏が企画するセッションもある。こちらは土曜の朝に座長を頼まれている。彼が直前に座長全員に宛てたメールから、たくさんの顔見知りが参加することを知りました。
さて、この会議、参加費がなんと9万円(非会員は11万円、応用物理学会は協賛で会員扱いだが、物理学会は仲間はずれ)もする。ホテルも異常に高い。リゾートなので1人で泊まれば割高になるのは仕方ないが、それでも高過ぎる。まあ、家族連れの人も多いようだが。欧米人にはクリスマス休暇の家族サービス的な側面もあるのでしょう。日本人にも似たようなものかもしれないが、1人で来ている私にはあくまで「仕事」である。
さて、時間は過ぎて木曜日のお昼を食べながら。居心地のいいWaikiki Brewing Companyにて。ここはいわゆるマイクロブルーワリーで、樽を前に8種類の美味しいビールが飲める。昨晩も会議の後に全種類を試し見事に酔っ払った。昨日に戻ろう。昼頃ホノルル空港に到着して、偶然乗り合わせたO大学のN氏と昼食にCheeseburger Waikikiでハンバーガーを食べる(N氏が飲むビールを横目に、しぶしぶジンジャーエールを飲みながら。ここで誘惑に負けたら間違いなく撃沈すると信じて)。日本語メニューの下に小さな字で、「肉が生焼けでお腹をこわしても当局は関知しない」的なことが書いてある。ふーむ、面白い。アメリカでは何があっても全て自己責任ということであろうか。相当、理不尽な気もするが。ちなみにこの時のハンバーガーはよく焼けていそうだったが、今、隣のビール屋で食べているチーズハンバーガーの肉はかなり赤くて気になる。日本にいたら1年に一度食べるかどうかのハンバーガーをもう2つも食べてしまった。まあ、今後2年間食べなければ問題ないだろう。
その後ビーチを歩いてホテルに戻り、30分寝てから会場のコンベンションセンターへ。寝過ごせば、世紀の大失態となるので目覚ましを二重にセットしてようやく起きたのでした。午後7時からのセッションはオープニングだというのにまばらな人。それでも話をするときには30人ぐらいいたかな。狭い部屋なのでまあそんなものでしょう。正直言って今回の発表は出来が悪かった。長~い1日の最後に40分話すのはさすがにきつい。前日に来ればよかったのだが、暇も飛行機もなかったし、まあ仕方ない。と自分に言い聞かせながら、今日は早朝からまじめに会議に出席して、夜のセッションに備えて休養中です。朝から晴れていて風が心地よい。昼頃にはシャワーがあったけれど、そのあとには強烈な陽射しが戻ってくる。見事にハワイ、と思っていたらまた降り出してきた。風も強くなる。急に寒くなった東京はもう金曜日の朝。昨日の所員会では所長が無事再任されたようで何よりです。あと2年間、誠にご苦労様です。
木曜夜の最後のフラストレーションセッションは閑散としている。数えてみると12名。昔、APSで座長を務めたとき、講演者と私を含めて5人しかいなかったことを思い出す。あれはかなり悲しかったけど、2桁いればまあ許せるかな。見事に物理の話ばかりで、最後の2人は完全な物性理論家。でも、私には結構、面白かった。彼らも化学屋のために少し遠慮して話してくれたからかもしれない。ちなみに本当に最後のスピーカーはなんと現れず、みんなで顔を見合せながら閉幕となりました。その後、カラカウア通りに繰り出し、Yard Houseでまたビールを飲み、ぐっすり寝ました。
金曜の午後から、陰山セッションが始まる。こちらは日曜の朝まで丸二日、土曜の朝にお役目がある。会場はコンベンションセンターからビーチに面する一大リゾートホテルのヒルトンハワイアンビレッジに移動。ホテル内は大勢のリゾート客で溢れている。その中に名札を下げた人達が行き来する。前者は短パン、サンダルにプラスアルファ、後者は会場が寒いので厚手の服装となる。こちらのセッションは固体化学的で知り合いも多く居心地がいい。古い友人も日本から来た若い人達もいて、議論が盛り上がり、よた話にも花が咲く。午後のセッションは4時に終わり、N氏とビーチサイドのバーで海を眺めながらくつろぐ。ちょっと意外だが結構寒い。おまけに突然雨が降ってきたりすぐ止んだりと目まぐるしい。この季節は雨季のようで、風が強く天気の移り変わりが激しい。山の向こうから厚い雲が流れてきたと思ったら突然、雨が降り出す。村上春樹のダンスダンスダンスのようにピニャコラーダを注文して、圧倒的な氷の冷たさに頭が痛くなってきた。夜のセッションは7ー9時。ちゃんとまじめに参加して、その後は大勢でヒルトンのトロピクスというレストランへ。混んでいて20分待ちだが、待つ間にバーに飲みに行き、アメリカでは自己主張しないと生きていけないと仰るNS氏が無理やりテーブルを確保して乾杯。巨大なリブを追加して楽しいディナーとあいなりました。ちなみに今回はやたらとマイタイを飲んで味を覚えた。場所によって微妙に味が違う。一番はやはりピンクのロイヤルハワイアンのマイタイバー、二番はヒルトンのトロピクスかな。
土曜朝の座長を無事にこなし、会議のかたわら、昼はハレクラニのメインダイニングで優雅なランチを食べ、夜はN氏の誕生日をお祝いしてスペシャルディナー。沈む夕日を眺めながら人生の洗濯をしました。日曜の会場には最終日にもかかわらず大勢の人がいて、特に日本の若手・中堅の素晴らしい講演がありました。会議後には何人かでダウンタウンに繰り出し、中華街で飲茶してアロハタワーに登り、Hootersを横目に見てからカメハメハ大王に挨拶し、カラカウア通りに戻ってアロハシャツを買い、ハワイ料理を食べてからシェラトンのバーでサンタバーバラの赤ワインを開けてすべての締めくくりとなりました。今回、ずっとお付き合い頂いたN氏に感謝です。さらに色々な意味で充実した滞在にしてくれた陰山氏に深謝。
ハワイに来るのはこれで4回目となる。最初はまだ小さかった娘を連れて完全休養にやってきた。その時はレンタカーを借りてオアフ島を一周。ドールの工場で巨大なパイナップルの蛇口から出てくるジュースを飲み過ぎてお腹をこわした娘を思い出す。あれから20年も時が経った。他の2回はマウイ島で行われた国際会議。今回初めてPACHIFICHEMに参加してハワイはいいなあと改めて思いました。今後はもっと化学に貢献して、よい成果を上げてまた戻ってきたいものだ。5年後は2020年、10年後は私の退職3ヶ月前となる。そんな先のことは考えたくもないが、果たしてどうなっていることか。まあ、生きていて研究を続けていれば舞い戻ることもあるでしょう。今回はハワイということで少々ハイな内容となったが、あくまでお仕事の一環であることをご理解頂きたく、これにて、マハロ。
ハワイで化学
2015年12月24日木曜日