水戸街道

江戸時代初期、幕府は江戸と全国を結ぶため多くの街道を整備した。特に重要な街道を五街道と総称するが、これに付属する街道が存在した。水戸街道は日光街道の付属街道の位置付けであったが、江戸と水戸徳川家の居城を結ぶ重要な街道であり、脇往還あるいは脇街道と呼ばれ、五街道に次ぐ重要な街道と考えられていた。

江戸から、千住、新宿、松戸、小金、我孫子、取手、藤代、若柴、牛久、荒川沖、中村、土浦、中貫、稲吉、府中、竹原、片倉、小幡、長岡を通り水戸に至る約120km、19の宿駅が置かれていた。

 

水戸街道の起点は千住であるが今回の旅は国道6号線言問橋からにした。橋の東にある墨田公園には水戸藩下屋敷があった。

平成17年5月28日、自転車とともに柏駅で始発電車に乗り、南千住で下車し、そこから言問橋へ向かった。言問橋を出発したのが朝の5時半。日はすでに昇っているため明るい。気温は高くも低くもなく、とてもすがすがしい気候だ。

言問橋の上から。

 

 

   

水戸街道の大部分は国道6号線である。今回は基本的に6号を走り、所々旧水戸街道を通ることにした。旧道には古い建物や一里塚などが残っているからだ。

しかし今回は旧道の場所を調べていなかったこともあり、見逃してしまったものもあった。案内板等があればいいのにと思うのだが、そういうことに興味を持つ人が少ないためか、あまりないのである。

水戸街道の道標。北小金駅近くのサティの南西隅、交差点に面して立つ。たまたま交差点で止まったときに見つけた。

取手本陣。朝早かったので(といっても8時半)、まだ開いていなかった。中が見れなくて残念。

   

土浦城。現在亀城公園となっていて、ここで一休みした。

 

 

 

稲吉本陣。

木村家住宅。稲吉本陣の近くにあって現在水戸街道に残る唯一の旅籠の建物だそうだ。

   

 

一里塚は主要街道の一里(約4km)ごとに設けられた一種の路程標である。塚は道の両側にあり、木が植えられていた。その木陰は旅人の休憩の場でもあった。しかし時代とともに荒廃したり、また道路の拡張により失われてしまうことが多い。水戸街道で現存するものはほとんどない。

千代田の一里塚。常磐自動車道千代田石岡IC入口にある。分かりにくいところにあり、偶然見つけた。

石岡の一里塚。 街道の左右に塚が残っている。

   

 

出発してから10時間近くかけ、やっと水戸に到着。東京から水戸まで標高差があまりないから楽に行けるかと思っていたが、ちょっとした起伏が多く(特に千葉県内)、かなり疲れた。しかし水戸についてからは疲れを忘れ、市内を少しだけ散策した。

偕楽園。日本三大公園のひとつ。

弘道館。水戸藩の藩校。九代藩主徳川斉昭によって創設された。ここの教科内容は極めて多彩だった。

   

藤田東湖の墓。

 

 

水戸街道に限らず、昔の大きな街道は現在国道として整備されていため、昔の面影はほとんどない。しかし残された旧道には歴史から取り残されてしまったものがある。そのようなものを探して旅をするのは楽しいことである。

 


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