インドでぼくも考えた

1.はじめに

 今回はインドである.壮大で混沌で不可思議な国として名高いインドである.生まれて初めてのインドである.2005年10月22日(土曜日)から30日(日曜日)までの一週間,南インドの高地にあるバンガロールと西インドの大都市コルカタ(昔はカルカッタ)を訪れる機会を得て,やたら忙しくなってきた日本から逃げ出してきた.コルカタで開かれるIndo-US Conference on Novel and Complex Materialsに招待されて,ついでに前から行ってみたかったバンガロールへC.N.R.Rao教授を訪問することとなった.なぜ日本人がIndo-USに呼ばれるのかは謎だが,まあ光栄である.参加者は米国人と米国で活躍するインド人,そしてもちろんインド国内から.他の国からの参加者はお隣の東大新領域の藤森先生と欧州からAndersen教授のみ.米国からの参加者には旅費が支給されるようだが,我々には招待状のみ.まあいい機会を与えてもらったので文句をいう筋合いはない.

 インドのサイエンスのレベルは高い.我々の分野でも多くのインド人が世界で活躍している.個人的に知っている人たちは実に頭の回転が速くものすごいパワーを持っているように見える.前出のRao教授も然りで,固体化学の大御所である.今回の訪問から是非何かを学びたいものである.コルカタの会議も蒼々たるメンバーが揃っており,有意義なものとなるであろう.あいや,しかしながら,それにもまして興味があるのはインドの国自身である.サイエンスとインドを肌で感じる旅を期待しているが,果たしてどうなることやら.

 インド行きが近くなってきた頃から,インドについて勉強を始めた.まず定番の「地球の歩き方」を読み,他の国のと比べてあまりの力の入れように驚く.図書館に行き数冊のインド旅行記とインドに関する本を借りてきて読み倒す.最後に椎名誠の「インドでわしも考えた」を持参して読み終わったところ.ちなみに今はタイ航空でバンコックに来てバンガロールへの乗り継ぎ待ち中です.インド旅行記はどれも面白かったが,女性が書いたものと男性のとではずいぶん感じが違うのが興味深い.インドは圧倒的に男性社会なので日本の若い女性は親切にしてもらえるのかな.どれもとにかく体当たり経験談の塊でそれなりに面白く参考になったが,最後の椎名誠はなかなか味わい深いものであった.彼の旅は現地観光局ガイド付きインド一周ツアーであり他と趣が随分異なっていて一見薄っぺらな感じもする.もちろんプロの物書きであるから文章が上手いせいもあるが,妙に心惹かれるのは自分と歳が近いせいか.椎名氏の特徴はいっさい前知識なしに訪れ,インドはこんなところだとまとめないところか.どんな話が載っているかを書き出すときりがないので皆さん興味があったら読んでみて下さい.

 乗り継ぎ便が出るまでまだ1.5時間ある.バンコックへ来るのは新婚旅行で立ち寄って以来,16年ぶりです.バンガロールに着くのは夜の9時半過ぎ.バンコクまで6時間,3時間待ってバンガロールまで3時間の計12時間の旅です.暇なのでだらだらと書いてしまった.じゃ,また.

2.バンガロールにて

 バンコクからの便は当たり前だがインド人だらけ.機内食も日本からの便よりスパイシーになったような気がする.30分ほど遅れてバンガロールの空港に到着し,出迎えの車でJawaharlal Nehru Centre(JNC)のゲストハウスへ.ここはTata Instituteのとても広い敷地内にあり,結構きれいなので安心してベッドに入る.夜は一晩中激しい雨が降っていてどうなるかと思いきや,翌日の日曜日にはあがっていざインド見学と相成りました.実は日曜に飛ぶ飛行機がないというれっきとした言い訳があって1日早く来たのです.朝食に大きなマンゴーの半身とオムレツにパン,コーヒーを出してくれた,親切なコックさんに相談し,タクシーを呼んで半日観光に出発です.ちなみに料金は4時間330ルピーでしたが,時間がかなりオーバーしたので500+チップ50ルピー(空港での交換レートでは1ルピーが3円弱なので1500円程度).運転手は如何にもインド人という顔立ちの26歳のKumayesudoos君.2ヶ月後に結婚するそうな.

バンガロールのタクシードライバー、クマ君 ヒンズー寺院に施された美しい彫刻

 まず訪れたのは近くの新しく大きなヒンズー寺院.クマ君と一緒に裸足になってカメラを置いて入っていくと,入り口になかなか進まない行列がある.読経が鳴り響く中ゆっくり進んでいくと紙を手渡され,行く手には迷路のような回廊に飛び石が並んでいる.一辺40cmくらいの大理石の上を順番に飛び移るのである.なぜか所々,列に隙間があっても前に詰めようとしない.初めはわからなかったが,皆さん呪文を唱えながら1フレーズが終わると一斉に前に移るのです.渡された紙には様々な言葉(英語も)で,クリシュナ,ハレ,クリシュナ,ハレ,...という感じの簡単な言葉の組み合わせが書いてあり,皆さん読経に合わせてこれを早口で唱えながら終わるたびに一斉に移動するのです.飛び石の数は少なくとも100個はあり,心地よいリズムなので聞いているうちに覚えてしまった.でも,書こうとしたら思い出せなかったが.ははは.最後の階段を上ってゴールにたどり着くと自分で鐘を鳴らして甘いお菓子をもらい,クリシュナ神が奉ってある本堂へと進んでいきました.出口で再びお米と何かのスパイスが入ったとろっとしたものをもらったが,これは半分食べて遠慮した.寺院の中身は今一だったが,インド人の普段の生活の一部に参加できて面白かった.タクシーで観光するのは初めだったが,観光客だけではこういう経験は無理なので正解でした.

 この後,さらにいくつかの寺院をまわり植物園に着く.ここには一人で入るが,暗い顔をした奴がなぜか一緒に歩き出し説明を始めた.必要ないと言ってもしつこく付いてくる.半分無視しながら一周して帰ってくると250ルピー出せとおっしゃる.私も気が弱いので5ルピー渡して納得してもらいました(してないだろうなー).ちなみに植物園で唯一の見物は巨大なバニヤンの樹でした.昼食はクマ君お勧めのレストランへ.彼は眠そうで待っている間車の中で寝ている.冷たいビールに,ナンとカレー6皿がのったミール,タンドーリチキン4ピースで大満足.ミールは赤坂のモティーで食べたら2000円はしそうなものが400円でした.おまけに辛いのを頑張って空にした3つの小皿を見つけたウエイターはなんと頼みもしないのにお代わりを持ってきた.彼は最初からうれしそうに辛いだろうと愛嬌を振りまいていたが(後でわかったが10%のチップを取られた),仕方ないな,じゃ,半分だけ食えと言ってお盆に敷かれたバナナの皮(本物でした)の上に取り分けてくれた.お陰様で明らかに入力オーバーとなりました.

レストランでの”インド料理”。一番手前はバナナのカリー。その中に一つ入っていた緑のチリは強烈だった。 JNCのカフェテリアのランチ。左上に見えてるのは皆さんが飲んでる生水。明らかに少し黄色い。くわばらくわばら。

 さて,今日一番驚いたことは交通の凄まじさである.とにかく運転が荒っぽい.車間距離は前後左右ぶつからない程度.どの車もドアミラーを倒したまま走っている.気の短い日本人なら,前の車が信号が変わっても動き出さないとクラクションを鳴らすが,こちらの人は前に10台車がいても信号が変わる前にクラクションとパッシングの嵐を浴びせかける.一端渋滞するとバイクは縦横無尽に動き回り,3輪のオートリクシャーは小さいのでところかまわず潜り込む.クマ君のタクシーも大きいのにところかまわず潜り込む.その結果,日本だったら2車線の道路が4.5車線になる.大きな交差点にはお巡りさんがいて交通をコントロールしているようだがこれは例外.交差点に来るとどの車も相手が止まることを予想(期待)して突っ込んでいく.人ももちろんところかまわず道路を横断しています.初めはほんとに面食らったが,一日車に乗っているとカオスのように見える流れにも何となくパターンがあることがわかってきて,一度運転してみたくなってきた(これは撤回.絶対に運転したくない).ちなみにインドでは日本と同じ左側通行だと今になって気が付いたのでありました.いやはや,やはりインドでは書きたいことが沢山出てくる.長くなって済みません.

 日曜の夜も激しい雨となるが,月曜朝にはあがって昼間は良い天気.どうもこれがバンガロールの雨期の特徴のようだ.実に不思議な感じがするが,夜しか降らないなんて便利ですね.どうしてこうなるのか多くの人に聞いたが誰もわからんとのこと.ちなみに,例年はすでに雨期が終わっているはずなのに今年は異常でまだまだ続くようです.さて,朝タクシーが迎えに来てくれて,10kmほど離れたJNCに向かう.例によって過激なドライブだが,なんと昨夜の雨で橋がいくつか流されたため大交通渋滞に巻き込まれる.タクシーは迂回してでこぼこぐちゃぐちゃの狭い道を飛び跳ねながら進む.路肩(はないが)には沢山の人が平然と歩き,クラクションの嵐の中を30分走ってようやく研究所にたどり着いたのでありました.

出迎えてくれたのはSundaresan氏.1年前までつくばに5年間いた人で助教授クラスの職を得てインドに帰ってきたそうです.1時間ばかりセミナーをして,ランチにもちろんカリーを食べ,Rao教授と話す機会を得ました.彼はかなりの高齢ですが,とてもエネルギッシュで首相に科学政策のアドバイスをするほど偉いお方です.政治で忙しいだろうと聞いたら,俺は政治はやらんと怒られてしまった.ある著名な教授との共著の本を見せてくれたので,どの部分を書いたのかと聞いたら,あいつの英語はdifferentなので全部書き直したと仰っておられました.あとでその話をスンダさんにしたら,よくそんなことを聞いたなと呆れられてしまった.とにかく,インドでは(世界でも)superprofessorなのです.

 その晩,Rao教授が夕食に連れていってくれると言うのでゲストハウスに戻って迎えが来るのを待つがなかなか現れず,うとうとしている内に8時を過ぎてしまった.一体どうなったのか不明だが,そのまま寝てしまう.お陰で12時間も寝て元気一杯に火曜の朝を迎えた.夕食は残念だったが,行っていたら恐らく疲れて死にそうになっていただろう.訪問者を歓待する時はあまり連れ回さないようにするべきだと身をもって感じる.さて,夕方の飛行機まで余裕があるのでスンダさんが予約してくれたタクシーで街に出かける.マイソール王国の支配者であったティープー・スルターンの宮殿は貧相で見るものなく,博物館(インドで2番目に古いという)はなんと停電で入れなかった.そのうちに雨が激しく降ってきて(バンガロールでは夜しか降らないと言ったのは誰だ),店をひやかしている内に道路が川に変わる.タクシーで来ていて本当によかった.外はありとあらゆるものが雨に洗われて,でも到底きれいにはなりそうにない.洪水で狭くなった道路を相変わらず車と3輪車とバイクが喧嘩しながら進んでいく.

 今,バンガロールの空港で飛行機待ち中.ここでバンガロールで感じたまじめな話を一つ書いておこう.タクシーはどの運転手もオートリクシャーが前にいるとクラクションを鳴らしてどけという.オートが遅いせいだろうが,それ以上に何かあるような気がする.一度,オートとあわやぶつかりかけた時,タクシーの運ちゃんは怒りまくりオートの運ちゃんは申し訳なさそうなにや笑いを浮かべた.その笑いが妙に引っかかっていたが,今になって何となくわかってきたのは,要するに権力者に対する上辺の表情である.恐らくタクシー運転手はオート運転手より身分が上なのである.下のものに対するあからさまなさげすみと上に対するへつらいが感じられる.ゲストハウスでも親切な管理人やコックたちも後ろを振り向いて掃除をしている人に向かうと顔が変わっているようだ.嫌な話だが,これが現実である.ここでは本人の努力ではどうにもならないことが変わり様のない事実として存在している.

 話が暗くなって済みません.で,毎度食い物話を二つばかり.今日もお昼は「Tandoor」という高級レストランへ行く.外で待たしているタクシーのことを考えると複雑な気持ちもするが.タンドールチキンとほうれん草とチーズのカリー(メニューにはなかったが言ったら作ってくれた)を頼んだつもりだったが,適当にうんうん言っていたら,余分に豆のカリーとヨーグルトに野菜が入ったものまで出てくる.どれもハッキリ言ってとても美味しかった(うらやましいでしょう,ははは).暇なウエイターが次々にやってきて話かけてくる.一人が「おまえはシンガポールから来たのか」と失礼なことをぬかすので日本に決まってるだろうと言うと不思議な顔をする.挙げ句の果てにイタリアかと言われ,頭に来ておまえもインド人じゃないだろうと聞くと,確かにネパールだと仰る.

そこに参加してきた如何にもという感じのインド人と比べると確かに顔立ちが違っていて,2人並べて写真を撮ってやるととても喜ぶ.右のネパールおやじの方は実に穏やかな表情をしている.ちなみにインド人は写真を撮ろうとするととても喜んでポーズを取ってくれる.実に面白い.最後にチャイ(ミルクティー)を頼むが,3種類あってどれが美味しいかで4−5人集まってきて議論になるが,マサラティーを頼んで皆が納得する.インドにしては明らかに高かったが,楽しいお食事でした.
インド人(左)とネパール人(右)を比べると。

 次は機内食のお話.バンガロールからハイデラバード経由でカルカッタへ向かうは, JetAirwaysという飛行機で,果たしてインドの国内線でどのような食事が出るのか興味津々であった.メニューはサモサ,豆のカリー,芋だんご,緑の液体とあまーーーーいデザート.サモサもカリーも美味しい.昼に食べ過ぎて食欲がなかったのに,カリーは食べられるから不思議.問題は緑の液体.冷たくて酸っぱいのに驚き,しばらくするとすごく苦くなってくる.辛さは感じないが,汗が出てきたので多分かなり辛いはず.昨日のミールにも一つだけ酸っぱいのが入っていたが,一種の薬でこれを食べると少しすっきりした気になります.後で出てきたデザートも得体の知れない物ばかりで全部パスした.フルーツサラダにまで香辛料を振りかけるなと言いたい.マンゴーピクルスとかいう見ただけで汗が出て来そうな物がなんでデザートなんだ.よくわからないが,面白かった.

続く